引用
もしかすると、仏教は自分の意見とはまったく違うことを言っていると感じるかもしれません。自分が責められたように感じたとか、侮辱されたと思ったとか、そういう気持ちが起きる可能性があります。
中略
仏教の本を読んだりして、嫌な気持ちになったとしましょう。その瞬間の感情に気づいて、「あっ、自分の意見とブッダの意見は違うんだなあ」と思えばよいです。「意見が違う」というところでストップするのです。ブッダの教えだからといって、そのまま鵜呑みにするのも危険です。
中略
鵜呑みにせず、拒絶することもなく、ただ納得に達するまで、ブッダと対話すればよいのです。
バリバリの私見です
私自身、仏教を知ったのはこの本です。
この本を知ったのはいいですけど・・。
それから、実際に精舎に行って先生の法話を聞くに至るまで2年かかりました。
仏教を疑っていたのでしょうね。
でも、今では法友とダンマサークルの勉強会を催したり、それなりの活動をしています。
で、下記も唱えることができます、
唱えますから、仏教に帰依というか、信頼してます。
礼拝文
- Namo Tassa Bhagavato Arahato Sammā Sambuddhassa.
- ナモー タッサ バガヴァトー アラハトー サンマー サンブッタッサ(三回)
- 阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼したてまつる。
三帰依
- Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
- ブッダン サラナン ガッチャーミ
- 私は仏陀に帰依いたします。
- Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
- ダンマン サラナン ガッチャーミ
- 私は法(真理)に帰依いたします。
- Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
- サンガン サラナン ガッチャーミ
- 私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。
- Dutiyam pi Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
- ドゥティヤン ピ ブッダン サラナン ガッチャーミ
- 再び私は仏陀に帰依いたします。
- Dutiyam pi Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
- ドゥティヤン ピ ダンマン サラナン ガッチャーミ
- 再び私は法(真理)に帰依いたします。
- Dutiyam pi Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
- ドゥティヤン ピ サンガン サラナン ガッチャーミ
- 再び私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。
- Tatiyam pi Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
- タティヤン ピ ブッダン サラナン ガッチャーミ
- 三たび私は仏陀に帰依いたします。
- Tatiyam pi Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
- タティヤン ピ ダンマン サラナン ガッチャーミ
- 三たび私は法(真理)に帰依いたします。
- Tatiyam pi Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
- タティヤン ピ サンガン サラナン ガッチャーミ
- 三たび私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。
でも、仏教を信用、信頼してても、疑問が起きることがあります、そんなときは法友に聞いたり、先生に聞いたりです。
対話で真理に達するというのは、ご本人が仏教をある程度信用してる、信頼してる、の土台がないとできない行為のような気がします。
ダンマサークルを見てて思うのですが、ある方は仏教には興味があるけど、ある程度の信用、信頼の土台が無い。
で、疑問が生じる・・・。
疑問が晴れればそれでいいです、土台を固めるきっかけにもなりますし。
疑問が晴れなければ、ある程度の信用、信頼の土台がないと、けっきょく仏教から離れていくパターンがあるような気がします。
ここでいう仏教とはテーラワーダ仏教です。
法友ってなかなか増えません、それだけ稀な教えを学んでいる、ということなのかもしれません。
世間的には稀なことが書いてある本です。