引用
この世で生きてみると、さまざまな出来事に遭遇しなくてはいけないのです。気に入る出来事も起きますが、気に入らない出来事のほうが多いのです。出来事が自分の気に入ったら、舞い上がって喜ぶ。気に入らないと、、落ち込んで悩む。
犯人はいずれも、おのれの自我という錯覚なのです。この自我の錯覚をなくすために、人は耐え忍ぶという修行をするのです。
修行はけっして簡単ではありません。自我という錯覚と戦うことになります。
でも、せっかく生まれたのだから、人は自己開発して進化しなければいけないのです。自然の流れに身を任せていたら進化はありません。自然の流れに逆らうこともできないのです。そこで耐え忍ぶという正道が現れてきます。
心の中から来るトラブルは忍耐する。そこで自我の錯覚がじわじわ消えていくのです。自我の錯覚がない人は覚りに達しているのだ、と言うのです。ですから、本物の修行とは、忍耐と堪忍なのです。
私見です。
うむ、生きていたら8つのことに出会いますね、という話を思い出しました。
下記リンク
で、生きていたら出会ってしまう8つのことです。
引用
人が明るくなり、自信をつけられ、喜びと幸福を感じるのは4つの原因が考えられます。
- 利得/lābha:物事がうまくいく、成功する、全てが順調にいくこと
- 名声/yasa:社会に認められること、高い立場にあること
- 賞賛/pasamsā:成功して賞をもらったり、褒められたり、有名人になること
- 幸福/sukha:豊かで健康的で家庭円満で、楽しく生きられること
以上の4つがあれば誰でも幸福を感じるし明るくなって活発に生きていられるのは当然ですが、すぐ感情的になって舞い上がってしまいます。それは落し穴です。舞い上がってしまうと、我を忘れ、自信過剰になって余計な行いまでする恐れがあります。
さらに、人が不幸を感じて落ち込む原因も4つあります。
- 不利得/dlābha:失敗すること、損すること、景気が悪化すること
- 不名誉/ayasa:立場を失うこと、批判されること
- 非難/nindā:失敗したり過ちを犯して厳しく非難され、否定され、社会から追い出されること、権力争いなどで事実無根の非難を受けることもある
- 不幸/dukkha:家庭や職場で問題があったり、病弱で苦しみを感じること
その4つに出会ったら、落ち込み、自信を失い怒りを感じます。それは暗い感情です。暗い感情に陥ったらひどくなる一方で立ち上がることは不可能です。この4つに出会ってすぐ悩んでしまう気持ちが「感情」です。
生きていると、いろいろなことになんだか出会っている気がするのですけど、分類すると8つしかないのですね。
で、いつもこの8つのことに振り回されて生きているわけです。
いいことがあったら舞い上がったり、やなことがあったら落ち込んだり。
でも、よく観察してみたらただの事象にすぎないのに、なんでいちいち舞い上がったり、くよくよしたりするの?という話ですね。
で、「耐え忍ぶ」とか、「堪忍と忍耐」というと、77で書いたお経の偈を連想します。
Khantī paramaṃ tapo titikkhā,
カンティー パラマン タポー ティティッカー
忍耐・堪忍は最上の修行である。 ダンマパダ184偈より
で、忍耐と堪忍というと、私の場合、「ただ我慢する」と勘違いしそうなので、私見に満ちた理解をしました。
下記です。
巧みにわるいことを避けて善の方向に行き
落ちついて理性的に物事に接し
生きてれば自動的にガンガンやってくる苦が来ても
貪瞋痴に転げ落ちないように踏みとどまる
先生は「自我の錯覚」という言葉を使ってました、上記の言葉の「貪瞋痴」を「自我の錯覚」に入れ替えてもOKです。
自我の錯覚に転げ落ちないように、離れるように、と教えてくれる本です。