引用
我々は、思考を大事にして生きています。不確定で不安で、正解が不正解かわからない世界でびくびくして生きているからです。それで怯えが現れます。不正解だったら恥ずかしいと自我が傷つく。悩み苦しみが生まれる。問題が実ぬいろいろ起こるのです。だから「いったん思考を止めましょう」と言います。思考を止めることができたならば、すべてを知った状態になるのです。考える必要はなくなったのです。この状態を、智慧というのです。そこまで瞑想を進めなくてはいけないのです。
私見です
智慧の状態まで瞑想を進めるのは、かなり高度なのではないでしょうか?
すべての思考を止めること自体、かなり高度な行為です。
下記のリンクに思考のことが出ています、止めるのはかなり高度みたいですね。
で、上記リンクでは、
まずは挑戦すべきは
悪い思考をやめて、善思考を選びましょう、とおしゃってます。
引用
思考の修行として、お釈迦様は「悪思考をやめること」を推薦します。要するに、思考の選択です。悪思考は三種類です。Kāma vitakka(愛欲思考),vihimsā vitakka(攻撃思考),vyāpāda vitakka(怒り思考)です。冥想実践しないときは、思考しても妄想しても構わないが、この三種類の思考・妄想をやめてみるのです。次に、行なうべき思考を選ぶのです。
行なうべき思考などあり得ないのですが、生きているものは当然、思考するので、このように選ぶのです。善思考は三種類です。Nekkhamma vitakka(無執着に関わる思考), avihimsā vitakka(あわれみの思考),avyāpāda vitakka(慈しみの思考)です。この三種類の思考をすれば、煩悩の接着力が弱くなっていくのです。
これならできそうな感じもします。
最近読んだ本、とても面白かったので・・
上記の本に面白い図がありました
下記
「幸福」を学問的に分析すると、仏教に似た部分もありますね。
どうせ思考するなら、〇印の部分がいいかもしれません。
日常生活の役にも立ちそうだし・・。
前野先生と先生の対談本も面白そうです。
仏教と幸福学は重なるのですよ。