引用
前略
究極の幸福に達することにも、順番があります。道徳的な人間になることが、最初のステップです。世間の流れに流されないように気をつけること、物事を自分自身で判断してみること、常に落ち着いた心でいるように努力づること、自分と周りを客観的に観察すること、観察しながら「なぜこのような結果になったのか?」と因果関係を発見ることなどの順番があります。
後略
私見です
人間は一度に一つことしかできないので、順番は大事だと思います。
一度に3つのことは出来ないのですね。
CPUがひとつしかないコンピューターみたいなものです。
実際にはひとつのことしかできないのですが、処理が速いので複数のアプリケーションを実行しているように見えます。
ウイッキ引用
ひとつのCPUしかないコンピュータでは、ある瞬間にはひとつの処理しか実行できない。しかし、CPUの処理時間を数十ミリ秒といった短い時間で区切り、タスク間でひとつのCPUを順に使い回すことによって、ユーザーから見ると、複数のアプリケーション(タスク・プロセス)が同時に実行されているように見える。
でも、人間の能力はCPUとは異なるので、一つ一つ順番にこなしたほうが安全で確実のように思われます。
で、話を仏教に戻しますけど、慈悲の瞑想しながらヴィッパサナーはできないし、これも順番ですね。
周りを見ると、瞑想にかなり興味を持ってられる方が多いのですけど、瞑想をする前に、日常生活をきちんと整えることが、順番的には先のような気がするのですね。
例えば五戒。
日常生活で在家が守るべき教えですね。
日常生活できちんと五戒を守り、悪いことをしない、が大事なような気がします。
昨日、勉強会で邪悪な行いについて学びました。
身口意で、合計10あるのですね。
身体による邪悪な行為3つ
1
生命を殺す
2
身振りないし言葉を使って与えられていないものを奪う
3
誤った性行為
言葉を使った邪悪な行為4つ
1
嘘をつく
2
友人や愛する人たちを仲たがいさせる
3
罵倒する言葉、下品な言葉
4
無駄話、自分のためにも他社のためにもならない言葉
心による邪悪な行為3種
1
貪欲
2
悪意
3
誤った見方
五戒を守るのと、上記の悪いことはしない、上記のことを疎かにして、瞑想しても、瞑想が成立しないような気がします。
うむ、まあ、順番としては
五戒・悪いことはしない
↓
慈悲の瞑想とかサマタ瞑想とか
↓
ヴィッパサナー瞑想
順番が大事だと教えてくれる本です。