引用
カルマ・業は、純粋に心の動き、意思の働きです。だから善いカルマを作ることも、悪いカルマを作ることも可能なのです。
たとえば誰かにご飯をあげて、「これを食べたら消えろ。もう二度と来るな」と怒りの意識をつくることもできるし、「食べて元気になってください」と慈しみの心を作ることもできる。だから、「ご飯をあげたのだから善いカルマだよ」とは言えない。どんな意思を使ったかということによって、善いカルマか悪いカルマか決められるのです。
私見です。
ダンマサークルでは下記の本を勉強しています。
テーラワーダ仏教の基礎の基礎を学ぶのにとても良い本です。
スマナサーラ長老の一般の方にもわかりやすい仏教の話もとても良いのですけど、テーラワーダの基礎の基礎を学ぶことで長老の本の意味がさらに深く理解できるかもしれません。
勉強会の西澤先生に感謝です。
上記の本では下記のように書いてありました。
カンマ
カンマ(業)は「行為」を意味するパーリ語です。カンマないし行為には三種類あります。
身体の行為
口の行為
心の行為
この三種類のカンマは意思を伴った行動から生じます、そのためカンマのもうひとつの意味は「意思」になります。
まずは身口心の三種類ですね、で、もうひとつの意味は意思です。
うむ、誰かにご飯をあげるという行為は自分の意思で行うわけですね。
きれいな意思であげれば、たぶん自分にとって善いのでしょう。
汚れた意思であげれば、自分にとって善くなさそうです。
そのご飯を相手がどう受け取ったかはわかりません
罵られても、相手がありがたく受け取ったら、その先はどうなるのでしょう。
優しい言葉をかけられて食事にありついても、その相手に一片の感謝の念が起きなかったら、その先はどうなるのでしょう?
うむ、やっぱり「業」はわからない、ということで・・。
考えないほうがいいみたい。
日本だと、なぜか悪い意味のニュアンスが多いみたい。
漢字ペディアの三番目の意味は
③ごう。仏教で、報いのもととなるすべての行い。「業果」「宿業」
なんだか余計なことが書いてあります。
大乗っぽいです。
業は「行為」のことです、その行為は三種類あります、で、もう一つの意味は「意思」となります。
業の説明はそれで充分だと思います。