引用
我々は必ず、、先に心に思ってから、何かを行為します。
何かをすると、それによって必ず、、そのポテンシャル(潜在力)が残ります。このポテンシャルを「業・カルマ」と呼んでいます。
何かをしたら、それには必ず、次に何かの結果が現れます。
いつでも必ず、一つの行為は次の行為を生み出すのです。業・カルマとは、行為の、結果を生み出す潜在力です。
後略
私見です
参考書はやっぱりこの本
西澤先生の勉強会は、今、基礎レベルをやっていますが、上級レベルも楽しみです。
またまた、復習ですけど
業は「行うこと」という意味です。
で、行うためには「思」チェータナーが基礎になります。
で、チェータナーには、前思、譲渡思、後思の3つがあり、思の押す力なのですね。
92の話で、先生は船は業、舵は意志、とおしゃってました。
一般の方にもわかりやすいように、「思・チェータナー」に「意志」という言葉を当てはめたのでしょう。
でも、しっくり来ないのです。
私見ですみません。
船は自分自身です。
で、舵とエンジン(推進力)はチェータナーです。
乱暴な航行をすれば沈没するかもしれないし、舵とエンジンで安全な航行をしなくては、ですね。
「思を基礎にして身口意の行為」イコール「業」 です。
で、行為をした後の話になりますね。
参考書を引用
長く受ける強い業の力
業の性質は微妙です。力や能力も大きいです。どのような生き物であっても考え、話し、行うこと全ては、考えたあと、話したあと、行ったあと無くなってしましったと考えます。しかしそうではなく、考え、話し、行いが終わったあとであっても、その考えたとき、話したとき、行ったときの思の力、能力によってそれらは消滅することなく続けて働いています。
で、条件が揃うとまた出てきます、完全に消すことができないとのことです、詳しく知りたい方は本をお買い上げください。
上記のことをポテンシャルとおしゃっているのでしょうか?
荒っぽい解釈で申し訳ないのですけど・・。
やってしまったことは、もう自分の手を離れてしまっているのですね。
例えば人を殺すと・・。
今世では短命になるかもしれないし、長生きしても、来世で殺されるかもしれないし。
殺したのは自分の行為です、で、自分の手を離れて、長い時間、もしくは短い時間で、条件が揃ったら、消えることなく業の芽が出てくる、ということです。
うむ、自分のやったことは消えることがない、これって怖い話です。
ということは、結局、自分の手を離れていないのです、長い時間をかけて自分の行為は続いているのです。
「行為」イコール「業」です。
毎回、同じオチで恐縮ですけど
五戒を守り、悪いことはしない・・・は大事であると実感します。
うむ、業の話が続きます。