引用
人の善いところだけ見る人は、明るい心を持っていて、どんどん明るくなります。
他の人々も、その人には自分の持っている善いところだけを見せるようになります。
人の善い側面を見る性格の人が、他人をだます人に会う。しかし自分の見方の影響で、人をだます相手の側面が裏に隠れてしまって、善い人間の側面を持つようになります。
わかりやすくいえば、相手が善い人間か悪い人間かと決めるのは、あなたの見方です、悪い見方を持っている人には、すべての人間が悪人に見えます。慈しみの見方でいる人には、すべての生命が仲間であるように感じます。人と人の心がこのようにつながっているのです。
揺るがない善い心を持っている人には、周りの人々も善い心に変える力があるのです。心は同じ波長で共鳴するのです。
自分が悪い波長を持ってはいけないとおわかりでしょう。自分自身に悪のい世界が現れるのです。善の気持ち、善の波長を持つようにすると周りの人々も助かります。心の共鳴が業の連鎖反応になるのです。
私見です。
読むと業の話とは関係のない感じですが、最後の部分で「心の共鳴が業の連鎖反応になるのです」とあります。
うむ、残念ながら先生のおっしゃるとおり実践できていません、悪い人を見ると、「これは悪い人なんじゃないかな」と思ってしまったり、理不尽な目に会うと腹が立ってしまったり、上記の文章とはほど遠い生活をしてます。
ただ、業は行為なので、人を色眼鏡で見たり、腹を立てたり(瞋な行為ですね)するのも行為です、行為でも善くない行為なので、善くない業をやっちまった、ということになるのですね。
先生の言う「善の波長、心の共鳴、業の連鎖反応」というレベルには届きませんが、やっぱり、「五戒を守り、悪いことはしないように気を付ける」
地味ではありますが、これを守っていきたいと思います。
下記の本を参照
上記の本の「仏教文化の章」でミャンマーの伝統的な教戒文を見つけました。
引用します。
1
自分の身業、自分に返ってくる、実に必ず起きる。
2
自分の口業、自分に返ってくる、実に必ず起きる。
3
自分の意行、自分に返ってくる、実に必ず起きる。
当たり前ですが、五戒を守り悪いことをしない、という行為も確実に何かしら自分に返ってくる、ということですね、それが何かはわかりませんけど・・。
わからないことは考えないほうがいいですね。
オチがない業の話でした。