ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

98 業から見る生命の平等 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

みんな、ほぼ同じ量の業を持っていると理解してください。

観覧車の上にいる人に、下にいる人を見下すことはできないでしょう?

観覧車は回っていますからね。上に行ったら、「私はほら、上にいて、お前は下でしょう。ざまあみろ」と言えますか?

バカバカしいでしょう。「ざまあみろ」と言ったところで、どんどん観覧車が回って今度は相手のほうが上になるのですから。

業の教えは「一切の生命は平等である。しかし、生命には個性があるので同一にはならない」というメッセージです。

後略

 

私見です。

 

上記の文章の引用元です

この本

 

 

上記の本 先生の業の考え方がよくわかります。

 

ちょっと謎だった「業自性」という言葉も出てきます。

 

27ページより引用

 

ポイントⅠ 業は命

命とは業のことです。このまま理解してください。

では、命とは何か、みなさんはご存じでしょうか。皆さん一人一人は一個一個の生命です。ですから、業が命ということは「私が業」ですと言ってもかまわないのです。「生きていることは業」とも言えます。

業を理解するためには、命そのものは何なのか、理解しなくてはいけません。パーリ語に出てくる用語はkammassakata(カンマッサカター)でず。「業を自己とすること」という意味で、日本語では「業自性」と訳されています。

kammassakataについて、私の説明をしてみます。「生命とは業です」ということです。私たちの命は、業で作られているのです。「命の材料は業である」という意味でもあります。

 

「業自性」は先生なりの業の説明になるのですね。

 

理屈っぽい私は、「どこのお経の引用になるのかな?」と思ってしまいます。

 

かといって、上記の本の76、77ページでは、業は思(チェータナー)であり、行為としての業も説明しています。

 

先生の業の説明によると、業は命です、仏教ではいかなる命も平等です。

観覧車の例えがぴったり当てはまりますね。

 

 

上記の本では、先生が日常生活でも実感しやすいように業の特徴が書かれています、ただここで「よい法話を聞いたなあ」で終わらせずに、伝統的なテーラワーダ仏教の業の教えにも当たってみてもよいのではないでしょうか。

 

下記の本です

 

 

先生のお話の理解を深めるうえで、とても良い本です。