引用
私たちは因果法則を探るときに、勘違いするところがあります。それは過去をさかのぼってみることです。それが必要な場合も、関係ない場合もあります。過去の原因を探すと、当然、すべてを発見できないのです。発見しても、いまさらどうすることもできない場合もあります。過去にさかのぼらないで、いま起きた現象のいま現在の原因はなんのかと調べるならば、より正確に原因を見出すことができます。
私見です
業に関する章なのですけど、因果法則という言葉が出てきました。
素朴な疑問で恐縮なのですけど、先生の言う「因果法則」は因縁を指す言葉なのかな、と思っています。
下記サイトに因果と因縁という言葉が出てきます。
因果という言葉は先生が一般の方でもわかりやすいように使っている言葉なのかもしれません。
因縁とか縁起、という言葉より、ニュアンスがつかめやすいのかもしれません。
でも、せっかくなので「因縁」という意味に当たります。
せっかくアビダンマの勉強をしたので、ここから引いてみます。
発趣論にある二十四因縁の略説とあります。
その中の「因縁」について
因縁 hetu paccayo
樹や根のように水分や栄養分を吸い取ってその樹を大きく成長させるように因である貪、瞋、痴、無貪、無瞋、無痴が樹の根のように、関係する名法、色法を支えたり生じさせたりする縁。
因縁の説明はこれだけです・・。
日常生活においては、けっこう貪瞋痴を栄養分にして、いろいろなことを起こしてしまっているのではないでしょうか。
うむ、貪瞋痴のほうが多いと自覚します・・・。
過去にやってしまった原因の、悪い結果については、その原因はもう知りようがないですね、「どの貪瞋痴が悪かったんだ!」なんて知ることができないです。
でも、最近については、というか、いまここ、はわかりますよね。
もしくは結果を予測できる。
「いま、これをやったら、たぶんヤバイ」とか、「これをわざと見過ごしてなかったことにすることできるけど・・。たぶんその結果はヤバイ」とか。
貪瞋痴がなにかしらの結果を与えている、という自覚が常にあれば、日常生活は安全運転できそうです。
またまた、しつこくて恐縮ですけど、「五戒を守り悪いことをしない」これで安全運転をしていきたいです。
今日で業の章は終了です。
明日からは「心」の話です、これも難しそうです。