引用
前略
煩悩は猛毒です。一般的には少ないほうがいいでしょう?毒が多かったら大変なことになってしまいますから。食べ物に毒がたくさん入っていたら嫌でしょう?
しかし、世間でのその判断は逆さまなのです。欲・感情・刺激が強いものほど価値は高いのです。いわゆる毒の濃度がかなり高いなら、品物の価値も高いのです。要するに、俗世間では、欲の濃度が高いなら評価され、喜ばれるのです。
我々が欲や怒りという判断基準にしているのは、煩悩が猛毒だとはわかっていないからです。だから、「あれは欲しい」「あれは嫌」という判断をするのです。人間は逆さまの判断をしているのです。
私見です
昨日、下記の動画を見ました。
ミャンマーのクーデター/仏教と民主主義/罪悪感への対処法/自然環境と修行・他 スマナサーラ長老の初期仏教Q&A|ブッダの智慧で答えます(04 Mar 2021 ゴータミー精舎からライブ配信
ミャンマーのクーデターについて
先生もご指摘していましたが、なんのことはない「お金」と「利権」ですね。
このままでは、自分や自分たちに入ってくるお金が減ってしまうのでクーデターを起こしたのです。
このままでは自分や自分たちの利権も減らされそうだったのでクーデターを起こしたのです。
お金や利権の出所は国民です、政治家は国民の信任があって、お金(出所は税金)や、政策を実行できる役割を与えられるのです。
軍事政権は、お金や利権から離れることができなかったのでしょう。
ここは国民を殺してでも、自分や自分たちのお金や利権を守らなければ、と思ったのでしょうね。
自分や自分たちの「欲」に囚われるとどうなるか?
で、その「欲」は最高に価値が高いものだと思っています。
そう考えるとどうなるか?
わかりやすいことがミャンマーで起きてますね。
国民の税金を好き勝手に使い、言うことをきかなければ殺す。
見事なくらい逆さまな判断ですね。
猛毒が多くて、自分だけ苦しむなら、それはご勝手にですけど・・・。
猛毒すぎて周りに人々まで苦しめるのは、良くないなあ。
でも猛毒な煩悩って、周りの人々も苦しめますね。
仏教と逆のことをやる政権には(別に軍事政権ではなくても)カチンときます。