oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

107 人間関係も一時的なもの 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

Aさんがあなたに「私は田中さんのことが大嫌い」と言ったとします。「どうして?」と聞くと「裏切者だから」と答えたとします。そのとき「そうですか、田中さんは悪い人なんですね」と決定するとひどい目に遭います。次の日にはAさんと田中さんと仲良くしている可能性があります。つまり、すべては一時的なものなです。仏教用語で「無常」といいます。桜が儚く散ることを情緒的にとらえて無常というのではありません、「一時的」で「本当のところというものはない」というのが無常です。

 

私見です。

 

もうこの本ですね。

 

 

 

上記の本は、先生が一般の方にもわかりやすように、縦横無尽に「無常」について解説しています、読めば得るものがあるかもしれない、ある意味、楽しい本です。

 

86ページを引用

人の話をまともに聞く必要はない

私は日本の大学院で道元を研究していましたが、道元は若いころと老年とでは、まったく違うことを書いています。同じ人間とは思えないほどです。若い頃は、悪い意味で非常に前衛的です。書いたものを読んだら、「この人は自分の言っていることがわかっているのだろうか?」と思うほどわかりにくい。主語や単語の選び方、バランス、文字数といったフォーマットに力を入れた挙句に、意味不明になってしまっているのです。

ところが老いてからの文章は、とてもわかりやすい。ぜんぜん奇をてらっていません。言いたいことを淡々と書いているだけです。偉そうな自己矛盾的な哲学ではなくて、ごく普通のことを語るのです。「人生は苦しいものだ」「煩悩はよくない」とか「修行して頑張りましょう」というように。

人生論も世界論も歳とともに変わっていきます。

だから世間の人の意見はあまり気にしないほうがよいのです。歳をとったというだけでコロッと意見を変える人の話を、なにも本気で聞くことはないでしょう?どうせ最後は頑固な態度で、保守的に終わるのですから。

私は若い頃からいろんなことをビシビシ批判したのですが、そのたびに年上の長老たちから「あなたも歳をとるでしょう」とそっけなく言われたものです。私は口にこそ出しませんが「事実なのだから、変わるわけないでしょう」と思っていましたけれど。

しかし実際、若い頃には「初期仏教こそ真の仏説だ」と必死で研究した学者でさえも、老後には阿弥陀信仰に陥ることがよくあるのです。増谷文雄先生とか、禅の研究をした鈴木大拙先生とか、その他、噂によるとかなりの仏教学者が、最後には「なにか永遠のものはないのか?」となってしまったのです。

若いときには、曖昧で怪しげな気分次第の変化論を唱えていて、歳をとると無常を否定して、最後には常住論を終着駅にして亡くなるのです。長い間研究を重ねて、結局「阿弥陀様に救われたい」では、本人もかわいそうだと思います。けれど、若いときには散々「偽の無常」を語って人を煽っておいて、それはないでしょう。まじめに話を聞いてた人は、梯子を外されたようなものです。とにかく一般人の言うことは、アテにならないのですよ。

 

 

あちゃー、読んでて面白かったので、長く引用してしまいました。

「偽の無常」と「それはないでしょう」が効いてます!

 

本には面白い話がたくさんあります、在庫限りになりそうですが、ぜひ買ってお読みください。

 

 

まあ「一時的」というと

自分の身体も一時的な借り物だし、夫婦関係、親子関係も一時的なものだし、

自分の周りの環境もどんどん変わっていくし。

それに気づいて、とっとと自分も変えていくしかないのですね。

 

 

 

 

縦横無尽な無常についての本です。