oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

109 記憶は無常 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

記憶という現象は、物質よりも派手に変化する無常なものです。

記憶はみるみるうちに変わって消えていくし、その上に新たな記憶をのせるのです。記憶というシステムは、無常の法則による自分の変化の流れを持っているのです。

後略

 

私見です

 

他の方の記憶についてはよくわかりませんが、私の記憶っていい加減です。

加齢につきますます信用できないものになってます。

記憶というと捏造と改竄ですね。

で、決まって、自分の都合のいいように捏造と改竄が行われます。

 

「無常」と「記憶」のキーワードで探してみました。

 

下記の法話を見つけました。

j-theravada.net

 

ちょっと引用

変化しない実体はありません。からだが死んでも死なない『魂』なんていうものはない。変化しないように思えるのは、思い出のせいなんですね。いろいろ記憶していますから、過去の出来事を覚えているし、人の名前を覚えているし、時に自分の名前や生まれを覚えているでしょう。だから錯覚を起こしてしまうのです。

それを解決するには、名前を変えた方がいいかもしれません。赤ちゃんには一つの名前、1歳になればまた違う名前。人は刻々と違いますからね。5歳になれば、赤ちゃんの時とはまったく違う存在ですから、違う名前をつけた方がいい。そうすると、誰が誰だかわからなくなっちゃいますね。すると、『魂』なんて変な考え方はなくなるのではないでしょうか。でも、普通の世界では、それは無理なことですからね。

といっても、記憶そのものも、ずっと継続しているわけではありません。私たちは、小さいときから今までやってきたことの中では、ほんのわずかしか覚えていません。ほかのことは全部忘れているんです。ふたつ、覚えているんですね。一番都合が悪かったことと、一番都合が良かったこと。どちらも精神的な問題の原因となる記憶です。

都合良かったことは、自慢したくなり、高慢になって自我を忘れる。都合悪かったことは忘れられず、自分を責めて悲観的になる。どちらも、自分の人生を不幸にしてしまうのです。

ですから、せっかく覚えているものでさえも、幸福の役に立たないのです。やっと役に立てているのは、勉強した部分だけなんですね。勉強した部分でも、95%くらい忘れていて、5%くらいやっと覚えていて、それでなんとか仕事をして、食べている場合がほとんどです。

自慢するならば、自分の失敗を自慢すれば、悲観的にはなりません。隠したいなら、自分の成功は隠しておく。それは立派な性格なんですが、人間というのはそれをやらず、失敗したことは隠しておいて、どうでもいいような成功だけは自慢して、そのことによってまた、性格は崩れていきます。自慢話ばかりする人は嫌みでしょう? 逆に、失敗談や自分の弱みを、なんということなく話す人には愛情が生まれてきますね。信頼できる、やさしい人だと。

でも人間は、その逆、やってはいけないことばかりやっていますね。結局幸福の道を知らないのです。では、不幸になりたい人は手をあげてください、と聞いてみても、手をあげる人はいません。自分で幸福を否定した生き方をしていながら、気持ちだけは幸福になりたいと思っている人が多い。それはあり得ないのです。

その矛盾を正す道が仏教であって、遠い昔のお釈迦さまの論理ですが、実に現代的な教えですね。

 

うむ、そうなのか、記憶していることは

一番都合が良かったこと

一番都合が悪かったこと

 

都合が良かったことは覚えているのでしょうね。

でも、人間は都合の悪いことを思い出しては暗くなり、でも、もっと進んで都合の悪いことをあれやこれや捏造改竄して、都合のよいことに作り替えてしまうかもしれません、それぐらいのことはやるような気がします。

 

 

うむ、とりあえず、目指すべきは、自分の失敗を明るく楽しく、おしゃべりできるように、です。

 

都合が悪くても、明るく、楽しくが、仏教徒らしくて、いいですねえ。

 

 

無常は暗い話ではない、と教えてくれる本です。

 

一瞬で心を磨くブッダの教え

一瞬で心を磨くブッダの教え