oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

110 歴史は決して繰り返さない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

前略

今日の一日は、新しい一日です。昨日ち同じことにはなりません。似た出来事に遭遇するかもしれませんが、再現ではないのです。

瞬間瞬間、年をとる自分は新しい人間になっています。

今の瞬間の出来事に集中して対応しましょう。新しいことに挑戦すると楽しくなります。幸福は、毎日新しい人生に挑戦する人からは逃げていきません。物事は変化して流れる、過去はよみがえらないのだと理解する人こそが、究極の幸福を体得するのです。

 

私見です

 

上記の文章は「日めくりブッダの教え」からになります。

 

悲しいかな、なんだか異様な高値がついてますね。 

 

 

とりあえず気を取り直して副読本を読みます。

 

 

 

上記の本の98ページを引用

「私」という固定された実体はない

世間一般は「私は変わらないが、世界は変わる」という態度ですが、ブッダの世界はそうではありません、世間一般とは逆に、仏教では、まず「私が変わる」というところから無常を語ります。

「私」は瞬間、瞬間、変化しているのです。「私」は「絶えず変化して変わっていく流れ」なのです。肉体も心も刻々と変わっているのです。これこそが現実です。抽象的な話ではまったくありません。

言葉を用いて「私」「私がいる」とは言えますが、それはあくまで都合がいいからです。現実的には「これが私です」指差せるような固定化された実体はありません。

「私」「魂」といった単語があるからといって、それらの単語に実体があるわけではありません。呼吸によって自分が変わる、見ることによって自分が変わる、いる場所によって自分が変わる、時間によって自分が変わるのです。私が歳をとっていくスピードは、一秒でも止まらないのです。ご飯を食べたらもう変わっているのです。

 

私は変わる、世界も変わる

自分がずっと変わっているということは、誰もがいまここで、きわめて簡単に経験できます。

文字を追いながら意識が変わっているでしょう?気持ちが変わっているでしょう?身体の感覚が変わっているでしょう?息を吐くたびに、息を吸うたびに、刻々と変わっているでしょう?

そうしたおびただしい変化が、同時進行で、自分に起きているです。だから「変わらない自分」は成り立たないのです。「自分」は「一時的な現象」なのです。

その変わり続ける自分を、しっかり観察して自分で経験することです。それから「世の中も自分と同じく無常である」と知る。それがブッダの無常を知る方法です。

あの人の怒りより、自分の怒りのほうが、よく観察できる、その怒りに気づくことです。

自分の足や腰が痛くなったら、自分の痛みがどれほど変わったか観察する、すると別人になった自分を発見する。痛みが消えたら、また別人になった自分を発見するのです。

このように自分については100%観察できるのです。それは疑いのない事実です。

そこを足場にして、外の世界を見るのです。「私が経験する、知る世界も、私と同じく、絶えず瞬間、瞬間変化して変わっているのだ」と知るのです。

 

うむ、この本の先生が語る無常は縦横無尽です。

理屈っぽい私は、上記の話の元になった経典の出典を知りたいのですが・・。

でも、先生の話は経典を元にしていると推理します。

 

無常を知るために・・ですね。

 

まずは「自分」

そして「外の世界」

順番が大事なのでしょうね。

 

自分の中の無常がわからない状態では、外の無常もわかりませんね、もしくは誤って知ることになるでしょうね。

 

うむ、無常を知るには順番も大切、ということで。