引用
「覚った」とは煩悩が消えること、煩悩が消えることは、何かをしたいという気持ちが完全に消えることで、それは、たまたま何もしたくないこととは、ぜんぜん次元の違う話です。私たちが言う「何もしたくない」気持ちは、活発さがなくて暗くなって、うつ状態になっているだけです。それは何もしたくない状態どころか、徹底的な煩悩で、ただ煩悩がものすごく固まって「動きたくない、怠けていたい、逃げたい」という煩悩だけが支配的になっているのです。この状態の心は、軽やかで元気な心でいるときよりも、ものすごく激しいカルマを作っているのです。
そうではなく、物事の無常を理解して執着が消えると、「何かをしたい」とか「しないまま怠けていたい」という心の不満な状態が消えて、心が完全に満足します。完全に満足すると、何かをしなければという状態が起きずに、心が静止状態のまま流れ続けます。もう動きません。覚った人の、「何かをしなければ」という心が起きない状態は、完全に超越した状態です。我々の言う「やる気がない」とはまったく違います。
私見です
覚りについてですね。
連想したのは「預流果」「預流道」ですね。
仏教徒の一番近い目標ですね。
下記の本
これもサンガさんの本になります。
在庫限りかもしれません。
で、預流果だと三つの煩悩を断ち切ることができるのですね。
1
有身見
2
疑
3
戒禁守
本では、1番の有身見がわかると、阿羅漢のように自我は完全になくなりませんけど・・。
我は無いってことがわかるのですね。
引用
無常を「体験」したので、心の奥底では、「『私』はいないのだ。一瞬ごとのエネルギーの流れが続いているだけなのだ」ときちんと納得しているのです。それだけでも、心は随分落ち着いています。激しい主張や激しい欲や怒りは、だいぶ減ります。我を張らずに、「まあいいか。どうせ無常なんだし、無我なんだから」と軽くスッと諦められるようになるのです。
うむ、これだけでも、預流果は、ものすごく大きな一歩です。
詳しくは藤本先生の本をお読みください。
せっかくだから、これを見ましょう。
預流道の特徴/預流果と五戒の関係/ウサギを逃した青年の後日談 #スマナサーラ長老 #ブッダの智慧で答えます #jtba #仏教
仏教徒には目指すべき目標があります、と教えてくれる本です。