引用
人の欠点は誰にでもある普通なことだとみなしましょう。
あえて良いところを見いだして、それを褒めるのが人格者の行為です。
良いところを称賛すると、言われた側がさらに良い人間になろうとするのです。
その話を聞く他人も、自分も何か良い人間にならなくては、と思うのです。
ですから、噂話をしないこと。
代わりに人の良いところを称賛する性格が必要なのです。
これも下記の本からの引用になります。
うむ、極端な言い方で申し訳ないですけど、スマナサーラ先生の全著作をそろえなくても、このシリーズに先生のエッセンスがしっかり詰まっていると思います。
アビダンマを学べば、必然的に仏教の大事なところを学べます。
で、どうせ学ぶなら楽しく学びたい、先生の縦横無尽な法話がまた楽しいです。
悲しいかな絶版です、流通在庫のみになります。
電子書籍にならないかしら?
切実に希望します。
私見です。
「噂話」は、不善行為の「離間語」になるのでしょうか。
勉強会メモでは
「仲の良い二人、仲を裂いて自分に好意を向けようとする意志、身、語による行為、行為により仲が悪くなる」
で、「噂話」で勝手に思うのですけど・・・
自分の過去文で
人間の習性なのかなんなのか、人間って異様に他人のことが気になって、他人には異様に鋭いです。
私もよく鋭い指摘を受けます。
本人に指摘をするのはいいですけど、本人がいないのに、別な人にあれやこれや言うのは良くないですね、結果的に噂話になってしまいますね。
上記のリンクより
他人の過ちや、したこと、
しなかったことなど、
見る必要はない。
自分を観るべきだ。なにをしているか、
なにをしていないのか、と。
(ダンマパダ50)
うむ、人間は他人には異様に鋭いけど、自分には鈍感そうです。
引用続けます
他人の過失は見やすいけれども、自分の過失は観え難い。
ひとは他人の過失を籾殻のように吹き散らす。
しかし自分の過失は、悪賢いばくち打ちが不利なサイコロをごまかすように
隠してしまう。
(ダンマパダ252)
わたしがある人を直そうとします。すると、言われたその人が、また別の人を直そうとするでしょう。そして、言われたその人が、また別の人を直そうとします。堂々巡りなのです、結果として、一人も直ることはありません。
うむ、考えてみたら、噂話で得する人っていませんね。
噂話している本人は心に良くないことしてるし、聞かされるほうも良くないことが伝染するし、噂されている方はかわいそうに被害者です。
みんな損してますね。
うむ、
損するのが嫌なら称賛したほうがいいです。
自分も気分いいし、聞かされるほうも良い気分になるし、称賛された方がその場にいてもいなくても、称賛って行為は誰が聞いても大丈夫。
うむ、拡散すべきは称賛ですな。
うむ、損はイヤです、に応えてくれる本です。