ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

143 人の良いところを称賛する 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

人の欠点は誰にでもある普通なことだとみなしましょう。

あえて良いところを見いだして、それを褒めるのが人格者の行為です。

良いところを称賛すると、言われた側がさらに良い人間になろうとするのです。

その話を聞く他人も、自分も何か良い人間にならなくては、と思うのです。

ですから、噂話をしないこと。

代わりに人の良いところを称賛する性格が必要なのです。

 

これも下記の本からの引用になります。

 

 

 

うむ、極端な言い方で申し訳ないですけど、スマナサーラ先生の全著作をそろえなくても、このシリーズに先生のエッセンスがしっかり詰まっていると思います。

 

アビダンマを学べば、必然的に仏教の大事なところを学べます。

 

で、どうせ学ぶなら楽しく学びたい、先生の縦横無尽な法話がまた楽しいです。

 

悲しいかな絶版です、流通在庫のみになります。

電子書籍にならないかしら?

切実に希望します。

 

 

私見です。

「噂話」は、不善行為の「離間語」になるのでしょうか。

勉強会メモでは

「仲の良い二人、仲を裂いて自分に好意を向けようとする意志、身、語による行為、行為により仲が悪くなる」

 

で、「噂話」で勝手に思うのですけど・・・

 

自分の過去文で

www.jataka.info

 

人間の習性なのかなんなのか、人間って異様に他人のことが気になって、他人には異様に鋭いです。

 

私もよく鋭い指摘を受けます。

 

 

 

本人に指摘をするのはいいですけど、本人がいないのに、別な人にあれやこれや言うのは良くないですね、結果的に噂話になってしまいますね。

 

上記のリンクより

他人の過ちや、したこと、

しなかったことなど、

見る必要はない。

自分を観るべきだ。なにをしているか、

なにをしていないのか、と。

(ダンマパダ50)

 

うむ、人間は他人には異様に鋭いけど、自分には鈍感そうです。

 

引用続けます

 

他人の過失は見やすいけれども、自分の過失は観え難い。

ひとは他人の過失を籾殻のように吹き散らす。

しかし自分の過失は、悪賢いばくち打ちが不利なサイコロをごまかすように

隠してしまう。

(ダンマパダ252)

 

わたしがある人を直そうとします。すると、言われたその人が、また別の人を直そうとするでしょう。そして、言われたその人が、また別の人を直そうとします。堂々巡りなのです、結果として、一人も直ることはありません。

 

 

うむ、考えてみたら、噂話で得する人っていませんね。

 噂話している本人は心に良くないことしてるし、聞かされるほうも良くないことが伝染するし、噂されている方はかわいそうに被害者です。

みんな損してますね。

 

うむ、

損するのが嫌なら称賛したほうがいいです。

 

自分も気分いいし、聞かされるほうも良い気分になるし、称賛された方がその場にいてもいなくても、称賛って行為は誰が聞いても大丈夫。

 

うむ、拡散すべきは称賛ですな。

 

 

 

 

うむ、損はイヤです、に応えてくれる本です。