ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

149 居心地が悪くても優れた人々とつき合う 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

「類は友を呼ぶ」というのは、仏教教育上はものすごく大きな問題です。これが智慧を阻害しているのです。「自分探し」、日本で流行っている言葉ですね。自分がなくなったとでもいうのでしょうか。バカバカしい言葉です。あれは自分の本性に似た仲間が見つからないと思う気分なのです。これを大げさに「アイデンティティ」と言っているだけです。人格を成長させたいと思うなら、智慧を開発したいと思うなら、善い人間になりたいと思うなら、たとえ居心地が悪くても優れた人々とつき合うことです。

 

上記は下記の本からの引用です。

 

 

ちょっと省いてる部分もあります、せっかくだから原文引用します。

 

「類は友を呼ぶ」というのんは、仏教教育上ものすごく大きな問題です。これが智慧を阻害しているのです。

似た仲間が見つからないとアイデンティティを探すのです、特に日本で流行っている言葉ですね。「自分探し」。自分がなくなったとでもいうのでしょうか。バカバカしいことばです。鏡を見たらいるでしょう。かっこ悪い、ダサい、性格の悪い自分が、探すというのはどういうことでしょう。あれは本性に合っている人が見つからないと「私は何者か」と思うだけの気分なのです。これを大げさにアイデンティティなどと言っているだけです。本性=アイデンティティです。これは仲間がいないとわからないのです。

人格を成長させたいと思うなら、智慧を開発したいと思うなら、善い人間になりたいと思うなら、たとえ居心地が悪くても優れた人とつき合うべきです。

 

アイデンティティは破るもの

 

仲間とは合致してますから、どうせ居心地は抜群です。性格が合います。しかし、それ以上は止めておいてください。善い人間になりたいと思うならば、優れた人格者と一緒になってください。しかし居心地が悪いのです。自分の性格に合わないのです、合わなくても自分の悪い本性がその人の影響で壊れていきます。本性は破るべきです、ですからアイデンティティは探すのではなくて破る、壊すべきものなのです。

 

私見で恐縮です。

 

えーと、自分探しって、結局は自分と同じ性格を持った仲間を探すということなのですね、居心地はいいし、わかりやすいですね。

 

 

でも、自分って鏡通りのロクでもない人間なのに、「それを探すってどういうこと!、もうそこにいるじゃん 」という話なのでしょうね。

 

あと、人格者の話が出ましたけど、人格者の見分け方って、ロクでもない人間は出来ませんよ、人格者を装っている人に騙される可能性もあります。

 

で、人格者に出会うこと自体、かなり難しいと思うのですが・・・、

 

それなら、きちんとした仏教指導者の本を読んだり、法話動画を視聴するほうが、まだ安全かと思います、それから善友を探してみたらどうでしょうか。

 

本や動画が自分に合うようだったら善友探しをしてもいいし、合わないようだったら最初から善友探しなんかしませんね。

 

 

 

話は変わりますけど、最近心に残った仏教指導者の本はマハーシ長老の本です。

 

ヴィパッサナー瞑想 (サンガ文庫)

ヴィパッサナー瞑想 (サンガ文庫)

 

 

 

もう、冒頭の部分が素晴らしいです。

f:id:oldmanbuddhist:20210425070910j:plain

 

 

文章に無駄がなく、仏教徒に大事な、実践すべき要点がまとめてあります。

 

私なりに素晴らしい仏教指導者だな、と思っています。

 

 

マハーシ長老の本を読むきっかけを作ってくれた本です。