引用
笑うということは、今の瞬間にぜんぜん問題がないということです。
でなきゃ笑えません。
だから嘘でも笑ったほうがいいのです。
笑っちゃうと癖になりますよ。
観察能力があれば、なんでも笑いのネタになります。
とにかく、笑っちゃうということはいいことです。
笑えている場合は、まあ問題ないということなのです。
バリバリの私見です。
上記の文章は下記の本からになります。
前野先生との対談本ですね。
そういえば、以前、前野先生の本を読んで感想を書いてました。
前野先生のこの本は面白かったです。
上記の本の表紙にある4つの幸せの因子
1
やってみよう因子
2
ありがとう因子
3
なんとかなる因子
4
あなたらしく因子
対談本では、この4つの因子について、仏教的な見解も取り混ぜて、縦横無尽な会話があります、詳しくは本書をお読みください。
うむ、せっかくだから「笑い」について調べました。
浅学の私は「笑」という単語を見ると
「喜俱の笑起心」という言葉を連想します。
ただ、これは阿羅漢のみに生じる心です。
凡夫にとって笑いは、どの心になるんだろう、と自分なりに調べました。
見つけたのはこの本
テーラワーダ仏教で使う言葉を調べるのに便利な本です。
ちょっと引用
喜俱の笑起心は、阿羅漢にのみ生まれる心である。
通常、凡夫や有学が笑うときに生じる心は、喜俱の貪根心に分類される。一方、凡夫と異なり、阿羅漢たちは笑ってもその行為がカルマを生むことがないため、そのときの心は喜俱の笑起心に分類される。
阿羅漢は下品な心で笑っているのではなく、出世間の智慧から生まれる落ち着き、安らぎから笑っている。その微笑の心を指して、喜俱の笑起心というのである。
うむ、笑いは喜俱の貪根心に分類されるのですね。
で、自分なりのいい笑いは・・、復習すると
喜俱(喜びの感覚)悪見不相応(邪見を伴わない)有行もしくは無行、になるのかな。
貪というと「トリモチのようにくっついて離れない」と学びました。
笑うにしても、対象に執着してじめじめした悪見に満ちた「嗤う」ではなく。
いずれにしても貪根心に分類されますけど、トリモチのようなベタベタしたものでなく
自分の心や相手の心にもよいカラッとした「笑い」がいいような気がします。
笑いの勉強をさせてもらいました。