oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

167 最後は子どもを「独立した他人」として見る 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

親子関係の最終段階とは、親のほうから親子関係を切って一人になることです。何も悩んではいけません。「自分が思った通りに子育てできなかった」などと悩むと、死後、低いレベルのところに堕ちてしまいます。

認知症の方が子どもに対して「あなたは誰ですか?」というような気持ちに、正気のままなれることが理想です。

大人になった自分の子を、独立した他人として見ることができれば幸いです。

とはいえ、人間には情がありますから、意図的に「関係ない」という気持ちを作って、子に対する執着を捨てなくてはいけないのです。

真理を知らない人は「暗い話だなあ」と思うかもしれませんが、事実は違います。

子どもに限らず執着が減れば減るほど、心は明るくなるのです、自由に活発になるのです。

執着を減らすためには(チェータナ)が必要です。

 

私見です

 

えーと、繰り返しになりますけど、長い輪廻の中で出会った人々が便宜的に家族になったわけで、出会ってしまったら、便宜的に夫婦や親子でもあるし、認知症になった親が子のことを「どこかのおじさん、どこかのおばさん」て言うのも、出会った人々を指す言葉として正解です。

 

出会ってしまったら仲良くするしかないし、お世話したりされたり、で、時間が来たら嫌でも別れていきます、別れるというのは独り立ちや死別など、全ての別れです。

 

で、出会った人々を人として尊重するのは当たり前だし、そこに自我とか執着が当てはまる箇所はないですね。

 

 

話は変わりますけど。

離れて住んでる私の80才越えた親は元気です、何年たっても親は親だし、子は子ですね。

親は親として接してくれるし、子は子として接します、

お互い年も年だし、これはこれで、もう「執着と自我」なんて無いですよ。

 

親が生きている限り親孝行をさせてくれるので、子としては仏教の実践をさせてくれる元気な親に感謝です。

 

 

親子関係、子育ての話が続きます。