ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

170 赤ちゃんが泣くのは、過去生の思いの影響『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

赤ちゃんを観察すると、この世の慣れるまでいかに闘っているかを推測できます。

赤ちゃんというのは、えらい乱暴者です。

何も自分でできないわりに、「あれが嫌、これが嫌」とわがままで、泣いてばっかりです。まったく手に負えません。

それは赤ちゃんが生まれたばかりで、この世のことにまったく慣れていなくて、納得がいかないことがいっぱいあるからです。過去生の思いが強烈なのです。

まるっきり知らない人に囲まれて育てられるわけですから、機嫌がよくないのです。母親が面倒を見るうちに、「しょうがない、この人はとても親切だ、泣いたら飛んできてくれるのだ」とゆっくり納得していきます。

それで母親を見ると落ち着き、にこっと笑います。徐々に父親のことも理解します。

赤ちゃんもカルチャーショックを乗り越えることは大変です。

輪廻を考えると不思議なことではありません。

 

上記の文章は下記の本172~173ページにあります。

 

 

 

先生の業の話が縦横無尽に散りばめられています。

 

 

私見です。

 

業は行為なので、行為は何かしらの結果を生じます、えーと、途中死んだところで行為の結果は断滅しないで、次の生で何かしらの結果がでるかもしれません。

断滅すると言ってしまうと因果法則の否定になりますので、これは無いなあ。

 

私自身は自分の過去生なんて覚えてないですけど、生まれたばかりの赤ちゃんは覚えているのかもしれない、でも、今生に慣れるのに必死だから、いつのまにか過去生を忘れてしまうのかもしれません。

 

うむ、自分がやってしまった行為は、いずれにせよ結果を出しにくるし、その結果を受け取るのは自分だし、善行為だったら、善果を得るし、悪行為だったら悪果を得ることになるし、本当はそこになんの「問題」も無いのですね。

例えば、兄弟の仲が悪い、いつでも毎日仲が悪い、うむ、何かしらの結果が出てしましったのですね、仲良くなれなければ、離れて住むしかないし、そこには「問題」は無いのだと思います。

 

 

まあ、実際の生活では、いろいろしがらみがありますので、あれやこれや悩むのでしょうけど・・・。

 

 

ん?どこに問題があるの? と聞いてくる本です。