ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

185 人格向上を目的として生きる 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

人間はゼロで生まれてきて、いろいろなことを学びながら成長していきます。「できないことが、できるようになる」というところに達成感や喜びがあって、それを味わいながら、一歩一歩成長していくわけです。それが生きるということです。

そういった生きる営みの目的を、「人格向上のため」と定めるのです。

それ以外のことは、いわば「俗世間的プログラム」です。俗世間的プログラムとは、仕事で評価される、出世する、お金持ちになる、自分のやりたい仕事に就くなどです。そういったものを人生の目的にしたら、あまりに寂しいことです。そういったことは、「ついで」にやればいいのです。

お金を稼いだり、自分のやりがいを満たしたり、人から評価されたりするのは、すべて「ついで」の領域です。人格向上するかたわら、生きていくのに最低限のお金が稼げれば、それで充分です。その「出来、不出来」に一喜一憂する必要はありません。

いかに人格を向上できたか、これが最も大切なことです。

 

 

私見です

 

人格向上についての法話があります。

 

j-theravada.net

 

法話のポイントを引用します。

    • 我々は自分に対して本来無知であることを明確に理解し、認めるべきです。
    • 良い・悪い、好き・嫌いという判断にはしることを抑えられるように努力すべきです。
    • 一生、する事がひとつも無駄にならないよう、それらが人格向上に向くようにします。
    • 人格向上は、存在に対する無知をなくして智意が現れるためのものです。
    • 智慧により、存在を乗り越え、解脱を体験することが生きることの最終的な目的です。

     

    うむ、これによると覚りを得るために、人格向上はその手段ということになりますね。
  • お釈迦様の説く実践は、すべて人格向上(手段)ということになるのかな。

 

私見にうえに脱線しますけど、過去「人格向上」について、けっこうたくさん書いてますね、自分なりに縦横無尽になってしまいました・・・・。

www.jataka.info

 

 

うむ、よく読んでみたら、人格向上の目的は覚るためですね。

人格向上という言葉を仏教の実践と言い換えるとわかりやすいかもしれません。

 

私の具体的な実践は五戒を守ることと、10の悪いことをしないこと

最近、頭がどんどん悪くなってきているので、やるべきことはシンプルなほうがいいです。