ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

189 学ぶとは、影響を受けること 『一瞬で心を磨くブッダ教え』

引用

「教育を受ける」ということは「影響を受ける」ということです。学んでいるのですが、影響を受ける義務は自分にあり、影響を与える義務は自分にあります。ですから自力のみでも能力のみでも他力のみでもありません。お互いの関係で成り立ちます。ブッダが覚らせてくれるわけではないのです。自分がブッダの言葉を聞いて、よく理解して実践することが欠かせません。善友と巡り合って本性を破る、壊す。そこで現れるのが智慧です。いつまでも似た者同士で合致してばかりいては、智慧は現れないのです。

 

私見です。

 

上記は下記の本からになります。

もう、追いつけないくらいお話しが縦横無尽です 。

 

上記の文章、前文があります。

 

ちょっと引用

 

本性を破る戦い

善友の影響で、本性を破ったところで現れるのが智慧です。我々が「教育を受ける」ということは「影響を受ける」ということです・・・・・以下同文

 

うむ、今回の文章は「善友の影響」というのが前提なのかしら?

たぶんそうですね。

 

善友と会う前の段階とは「似た者同士で合致」ということになりそうですね。

 

上記の本より「類は友を呼ぶ話」です

引用

「類は友を呼ぶ」というのは仏教教育上ものすごく大きな問題です。これが智慧を阻害しているのです。

似た仲間が見つからないとアイデンティティを探すのです。特に日本で流行っている言葉ですね、「自分探し」。自分がなくなったとでも言うのでしょうか。バカバカしい言葉です。鏡を見たらいるでしょう。かっこ悪い、ダサい、性格の悪い自分が。探すというのはどういうことでしょう。あれは本性に合っている人が見つからないと「私は何者か」と思うだけの気分なのです。これを大げさにアイデンティティと言っているだけです。これは仲間がいないとわからないのです。人格を成長させたいと思うなら、善い人間になりたいと思うなら、たとえ居心地が悪くても優れた人々(善友のことかな?)とつき合うことです。

 

 

うむ、自分の経験だと、以前、飲酒してました、というと「飲み仲間」がいましたね。

先生は「類は友を呼ぶ」のグループを「煩悩組合」とか言ってました。

同じ煩悩同士のグループだから居心地はいいですね。

自分探しをしなくても、自分の所属するグループというか仲間を見れば自分がどういう人間かわかりますね。

 

お酒をやめたら、いつのまにかそのグループを離れました。

 

今は、ダンマサークルの勉強仲間が、自分がいるグループになるのかな。

仏教を深く学んでいる仲間とつき合ってもらえるのはありがたいことです。

 

 

仏教を学んだおかげで「自分探し」と無縁です、ありがたいです。