oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

193 不完全であると認めると楽 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

人間が不完全であると認めないということは、病気です。自分が不完全だとわかり、人生は不完全だとわかると、ものすごく楽です。しゃべることでも、別に不完全だから仕方ないでしょう。と思えれば、ああ、あんなこと言ってまずいなあとか、気をもむ必要はありません。「いいんじゃないですか、それで」と気楽にいられます。

不完全だと思ったら、すごく気楽になります。自分のやったことの間違いを誰かが教えてくれても、ありがたくなるだけ。「あ、そうですか、じゃあこれを直しましょう」ということになるだけ。不完全を認めない人は、人が自分のことを批判すると、ずーっと硬くなっちゃって、落ち込んでプライドが傷ついて大変なのです。実際は、何一つ完全にできるわけではありません。不完全だからこそ学ぶ余地があるのです。だから、「わからないことは多い、知らないことは多い。何やっても、うまくいかないことは多い」ということをポジティブに「そんなの当たり前だ」と思える。それが普通であると観えたところで、ポジティブに成長できるのです。

 

私見です

 

ネットで

「スマナサーラ 不完全」と引くと、以前書いたことがトップに出てきました。

これ

www.jataka.info

 

バリバリの主観で恐縮です・・・

 

自分は完全だ、とかは、自分は正しい、にもつながります。

 

自分一人で勝手に思う分にはどうでもいいのですけど、実際は社会生活に支障を来すようで、困るのは自分自身だったら、困ったことになってしまいますね。

 

で、上記のブログの引用

関係性における「本音と建前の話」です。

で、本音は貪瞋痴で

 

欲中心に、成功を目指す本音

怒り中心に、勝利を目指す本音

無知中心に、言われた通りにこなす本音

 

で、関係性のおける本音と建前

自分の主観の世界

 

親しい人々との関係

 

世間との関係

 

で、問題は1番目

「自分の主観の妄想の世界」と、おっしゃってます。

 

 

で、本日の法話で見えてくるのは。

 

まあ、とりあえずは世間と折り合いをつけて問題なく生きている感じだけど、その本音は、「自分は正しい」「自分は間違いない」と。

 

でも、その本音でさえ、日常生活では自覚がないかもしれない。

 

それは主観と妄想の話なんですけど・・。

 

でも、いざというとき、その本音(主観と妄想)が出たりなんかする。

 

でも、本当のところは、「不完全であるし」「間違いだらけ」

 

なんていうか、物事ってアイデアだけの話だと思うので、いいアイデアがあれば提案すればいいし、他の方がもっといいアイデアを出してくれれば、それを採用すればいいし、そこには貪瞋痴は無いと思うのですけど。

 

例えばこれ

www3.nhk.or.jp

 

公衆衛生を良くするのためにはワクチン接種は必要なことだとだし、コロナに感染するデメリットとワクチン接種のデメリットを比較すると、ワクチン接種のメリットは明らかなのですけど、心配な方は別に脅迫をしなくても、接種はまだ決めかねているので保留にしてくれませんか?と言えば済むと思うのですけど・・。

 

 

貪瞋痴が絡むといろいろなことがおかしくなります、ということを教えてくれる本です。