oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

195 微笑んでみる 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

理由は何でもよいのです。微笑んでみましょう。

理由がないならば、理由がないことに微笑んでみましょう。

食べるご飯がおいしいものであるならば、微笑んでみましょう。

食べるご飯が期待外れでまずいものであるならば、微笑んでみましょう。

人に褒められたら、微笑みましょう。人に非難されたら、微笑みましょう。

仕事がうまくいったら、微笑みましょう。

仕事が失敗したら、微笑むのではなく、大きく笑ってみましょう。

微笑みを欠かさなければ、あなたは誰にも奪い取られることができない、何が起きても揺らがない幸福に達します。

 

私見です

 

仕事で大きく失敗しても、嘆いても仕方ないので、「はははは、この失敗どうしようかな」と笑うほうが、精神的にはいいかもしれませんね。

 

微笑みというか、ユーモアというと下記の本ですね。

 

 

気になる部分を引用

 

歌は泣き声、踊りは狂気

お釈迦様は「笑い」に対してなんとおしゃっているのでようか。お釈迦様がどのように語ったのか、経典には次のように書かれています。

 

比丘たちよ、聖なる戒めにおいては、歌は泣き声のようなもの、踊りは狂気のようなもの、長い時間、音をたて歯を見せて笑うことは幼子になったようなものです。したがって、君たちは歌をやめなさい、踊りをやめなさい、真理を理解することで起こる微笑みだけで十分です。

増支部三集103

 

 

 「真理を理解することで起こる微笑み」というと「阿羅漢の微笑み」を連想します、阿羅漢にならないと微笑んじゃいけないんだー、などと思ってしまいそうですけど・・。

 

先生の話は続きます。

 

ですから、お釈迦様は、笑いを「やめなさい」とはおっしゃいません。人体のメカニズムの即しています。いかにお釈迦様が精密なのかという証拠です。

「ちょこっと笑うのはよいですよ」と、お釈迦様はすすめます。たとえば数学で少々難しい問題が解けたら、「できたぞ」と笑ってしまうでしょう?何かを理解したときは品格よく、「あっ、わかった」と思わず笑顔になる、それぐらいの笑いは「楽しんでよろしい」とおっしゃるのです。

 

微笑みのたえない人になる

 

「理解したときの微笑みで十分」とお釈迦様がおっしゃるとおり、実際、お釈迦さまの教えがわかったら、人は微笑みのたえない人になります。どういうことかというと、悩んだり、怒ったり、攻撃したくなったり、落ち込んだりすべき理由が仏教の人には存在しないのです。

 

 

浅はかな私はお笑いの動画サイトなんか見て笑い転げたりなんかしてます、これって、もっと笑いたい、もっと笑いたいという、たぶん貪に心が覆われてしまっているんでしょうね。

 

笑う対象に対して欲が出てきます、これは良くないです。

 

でも、笑いとか微笑みは、必ず対象を取りますね。

自分自身であったり、それ以外であったり。

それが自分の中で貪瞋痴になったらヤバイんでしょうね。

 

どんな対象を取ろうとも、理解して「ちょこっと笑う」くらいが、貪瞋痴に近づかない感じがしますし、その方法なのかもしれません。

 

いつもながら注意、注意です。