oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

205 きれいへのこだわりが差別の原因 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

どうして殺菌、殺菌、殺菌と、「きれい」にこだわるのでしょう。それは現代人が毎日風呂に入って身体をきれいにするような生活をしているからです。原始時代には、そんなことは気にしなかったはずです。電車のつり革につかまったら、ばい菌が多いから手をアルコール消毒しなくっちゃ・・・・そんなことは昔はあり得ません。

現代人は皮膚にすむ微生物も許せないほど「私はきれいだ」という妄想にやられてしまっているのです。ここから、自分の自我と世間の差別が生まれます。

 

上記は下記の本からになります。

 

 

 

先生のお話はとどまることなく、縦横無尽にいろいろな分野に行きます。

この本も仏教が詳しくない方でも楽しく読めるのではないでしょうか。

 

私見ですみません。

 

人間の清潔とか、清浄のお話だったら下記の本が決定版だと思います。

 

 

 

気になる部分はここ

 

清潔とは単に、自我の肯定にすぎない

人間同士に話に移りましょう。個人の観点から見ると、やはり自分が一番清潔です。自分から見れば他人が不潔で、一方、他人から見れば不潔なのは自分のほうなのです。同じ人間同士でも、このように清潔・不潔の概念というのは、なかなか普遍性をもつことはありません。

たとえば、自分の身体を流れている血液は自分の身体を維持、管理して身体を守っていますから清潔です。しかし、うかつに他人の血液を、自分の身体に入れてしまうと、とても危険です。

あるいは、私の身体の中にはいろいろな最近がいるかもしれません。それでも私は元気です、自分の身体に住み着いている細菌は、自分に対して害を及ぼさないので、清潔ということになります。しかし、自分の細菌が他の人にうつったら、うつされた人がどうなるかは保証の限りではありません。ですから、「自分は清潔だ」、「私から見ればあなたは不潔ですよ」としか言えないのです。

自分が生きるために必要なもの、快適なものが、自分にとっての清潔ということです、つまり清潔を求める行為、自我の肯定につながります。清潔とは仏教から見れば、ただ自我を肯定しているだけのことなのです。

 

ここ最近は、コロナに罹患した方、罹患したことがある方を差別したり、ワクチンを打たなかった方を差別したり、自我全開の話を聞きそうです。

 

で、この本

 

 

上記の本より3つの災難の話

飢饉による災難

 

武器による災難

 

疫病による災難

 

災難の原因

飢饉による災難は人々が欲に圧倒された時に生じます。

 

武器による災難は人々が怒りに圧倒された時に生じます。

 

疫病による災難は人々が無智に圧倒された時に生じます。

 

 

 

うむ、他人を差別している状態って、無智に圧倒されていることをいうのでしょうね、言葉悪いですけど、ただのバカじゃん・・・。

 

 

ただのバカになってるんじゃないですか?と聞いてくる本です。