oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

208 固定観念にはこだわらない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

仏教は「厳しいもの」という固定観念、キャラクターがつけられています。

実際の仏教は苦行には反対ですし、皆、微笑みを絶やさずに、静かに、掃除や瞑想など、日々の営みを遂行しています。

しかし、実際の様子が自分の持っていた固定観念、イメージを違うとわかったところで、「あ、違うんだ」と、すんなり自分の考えを訂正できるでしょうか?

人間は面白いことにイメージ通りできなかったことに腹を立てます。

「なんだこれは、こうじゃないだろう。自分が思っている通りに厳しくやってほしいものだ」と思います。

このように、固定観念でガチガチになってしまうとかなり危険です。

固定観念にこだわるのではなく、人は自分の固定観念に気づき、固定観念を持っている自分を面白がっていたほうがよいのです。

仏教ではそう教えます。

 

上記は下記の本からになります。

 

 

 

私見です。

 

固定観念を持つということは、先生のおっしゃる「ありのままに観る」「観察する」ができていない、さぼっているということになります。

言われたことができていない自分を面白がってみればいいのでは・・。

 

貪瞋痴を面白がる境地に至ったら、なんだかすごいですね。

 

おおー、4年前になんかいいこと書いてます。

なんか、写真もしぶいです。

www.jataka.info

 

全文引用

「一分で読むブッダの教え」」より

 

気楽に生きる人にとって、世の中で何が起こっても、それは冗談や笑いの原因であって、悩みの種ではありません。

出家している我々にとっては、もう何が起ころうが、すぐ笑えます。「あっ、大変だ。どうしてこんなことが?」ということは、ないのです。

それが幸福というものではないでしょうか?

 

仏教徒は、緩くて気楽です、たぶん自分が死んでしまうことも冗談や笑いの種にしますね。

 

「あっ、大変だ。どうしてこんなことが?」という事象も笑いの種にしますね。

 

自分に、心に引っかかる悩みの種があるとして、よく見てみると「本当にこれが深刻な悩みの種なの?」また、よく見てみると、「この悩みで、最悪でも、たぶんこの結果かあー、たいしたことない」で終わるパターンもあります。

 

悩みはたいしたことない、むしろその悩みが原因で、心が落ち込んだり、怒ったり、後悔したり、欲が出たり、「心の状態」を重視しますね。

 

仏教徒は緩いですけど、「心の状態」を見ることに関しては、妥協はないです。

 

いろんなことが自分に降りかかりますけど、よい心の状態で接したいです、というか接するしかないんですね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

 

仏教はゆるゆるのように見えますけど、お釈迦さまの教えたことは妥協なくやっていきたいです、笑いもその手段になるかな、と思っています。