oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

222 生命に最悪の不幸を与えてはならない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

「殺生してはならない」というのは、それが生命にとって最高に嫌なことだからです。その代わりに「慈しみなさい」というのは、それが生命にとって最高の喜びだからです。

誰でも親切にされると、とても嬉しくなります。ものをくれることよりも、自分に対して親切な気持ちを抱いている、自分のことを本当に心配しているということに、味わいがあるのです。仲間という感じです。何もくれなくてもかまいません。

いろいろな人々が第三世界の国々へ行って人を助けたりしますね。でも自分たちは別世界の人間、幸福な人間として施しを与えるような態度だと、評価されません。それよりも、苦しんでいる人々と一緒に座って、一緒に何かをする、対等に話をしたりすると、大変喜ばれます。このように仲間に入るということが、一つの慈しみの行為なのです。

他人を仲間にしてあげる、差別の壁を消してあげる、それは生命が期待する最高のものを与えていることになります。それは、ものをあげるより、ずっと価値があることです。逆に、相手を殺すことは、その生命に最悪の不幸を与えることになるのです。

 

上記の文章は下記の本より

 

 

私見です

 

先生は仏教を知らない方、仏教初心者の方々に説明を試みようとしますが、この本の138ページから150ページにかけて、仏教を学ぶうえで、仏教の定義について、仏教用語について、お釈迦さまが言っていることと、世間の言っていることは違う、と詳細に述べられています。

 

特に気になったのは、日本は大乗仏教がほとんどなので、葬式、法事、昔からある仏教由来の言葉などがあり、仏教については「知ってるような気になっている」というパターンが多いのではないでしょうか、でも、それが以外と仏教を学ぶうえの障害のなっているかもしれません。

 

上記の本より引用

殺すなかれについて、仏教と世間の常識は違います。

 

生命は平等である

 

一切の生命は苦しみ、殺されることをおびえる、嫌がる

 

生きる権利はみなに平等にある

 

他を殺すことで自分の生きる権利を失う

 

他人に不幸を与えることは、自分も不幸を受けることである

 

「幸福になりたい」という目的に生きているのだから、殺生はその目的に反する

 

殺生をする人は今世でも、来世でも、不幸に陥る

 

心を汚さずに殺生をすることは不可能である

 

一般的な意味とはだいぶ違いますね

世間の人々は言っていることは、「なんとなく」です。「なんで殺してはいけないのか」と聞かれても、答えを持っていません。

仏教はその答えを持っています。仏教では「殺すなかれ」と言えば「一切の生命を殺すなかれ」であって、例外はありません。「殺すなかれ」というのは文字通り「殺すなかれ」であって、「正しい殺し」「罪にならない殺し」などあり得ないのです。

 

 

 

本気で仏教を学びたいなら、自分の「知っているつもり」を取っ払って、新しい学問を学ぶくらいの姿勢で、用語や定義を学んでいくべきですね、そうしないとすぐに挫折してしまうかもしれません。

ということを教えてくれる本です。