oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

234 慈悲喜捨とは? 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

慈悲喜捨の慈(メッタ―)は「みんな友達です」という意味です。犬であろうが、猫であろうが、仲間であって友達です。

悲(カルナ―)というのは、他の生命を助けることです。「苦しんでいるな」と気づいたら、「これはいけない、助けなければ」と助けてあげる。これは義務なのです。人が二人いれば、一人になにかしら困っていることがあります。すると、もう一人は自然に、その人のことを助けなくてはいけないのです。

喜(ムディタ―)は文字通り「喜び」です。これは嫉妬の反対です。自分以外の人が頑張っているのを見て、「ああ良かったねえ」と喜びを感じるのです。そうすると、自分の脳に幸福をつかさどる化学物質が生まれます。

捨(ウペッカー)とは、落ち着いて、生命は平等であると知ることです。生命に上下はなく、差別もなく、生命は一つである、と知るのです。

 

私見です

 

せっかくだからアビダンマの復習

 

無量心所にあたるところですね

2つあります

 

苦しんでる生命がその苦しみから逃れられるように願うこと(対象が必要)

 

幸せな生命の幸せが続くように願うこと(嫉妬の反対)

 

で、四無量心の慈は無貪、捨は中捨が対応する

 

無貪

欲から離れること

 

中捨

心心所のバランスがとれていること

 

うむ、アビダンマ的には慈=無貪なんでしょうけど、

下記の本の説明を読みます

 

 

引用

無貪

貪りのない心の状態。所縁の情報に執着し、貪ることがないこと。欲から離れよう、物を手放そうとするエネルギーのこと。無貪とは不満足でも我慢しているということではなく、満ち足りているという心、それゆえ、とても明るく、活発な心といえる。自分のものを他者へ与えようとすること。lobha(貪)の反対の性格。

 

 

せっかくだから中捨も見てみます。

アビダンマ的には、捨=中捨 なのですね。

認識対象に対して、バランスのとれた客観的な態度をとること。対象に対して、どこにも偏らない状態。落ち着いていて、クールな状態。六門で受信する、所縁の情報の好き嫌いの基準で判断しないこと。好悪の念を抱かず、物事に対して冷静で落ち着いていること。

中捨が機能していると、主観的な感情ではなく、落ち着いて客観的な判断ができるようになる。通常、人間の判断には偏りがあり、客観性、公平性はない。中捨を育てることにより、公平で、道徳的にも立派な人間になることができる。

 

細かいところを見るとキリがないので、どちらも悪い心ではないので、よいのでないでしょうか。

 

慈に関しては無貪に当てはめた無理矢理な解釈で

自分の中で育てた慈しみの気持ちを他者にも与えよう(送ろう)とすること。これは無貪でないとできませんね。

 

捨は中捨の解説を読むだけにしときます。

 

 

思わずアビダンマを復習してしまいました。