oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

245 善行為はみんなでやる 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

一般的に善行為は、ひとりでやるよりもみんなでやるほうが徳が高いのです。自分がすごいお金持ちの場合、自分一人でお寺でも何でもつくろうと思ったらできるかもしれません。しかし、それではもしかしたら、「私がこのお寺を作ったのだ」と、自我意識が強くなるかもしれません。それでは善行為の中の悪業になってしまい、せっかく善行為をしたのに、その分だけ損になるのです。ですから、善い行為はみんなでやるのです。一人だけコソコソと、あるいはでしゃばってやるものではないのです。

 

上記の文章は下記の本より

 

 

この本の巻末の「日本語索引」で「善行為」をピックアップします。

善行為に関してけっこうたくさんのページを見つけることができます、縦横無尽に先生の善行為の法話を読むことができます。

 

上記は善行為を一人で出しゃばったり、コソコソやるものではく、みんなでやりましょう、という話ですが、本ではまだまだ続きます。

 

引用

善行為の認定

パティダーナの場合は、もっと微妙な、心そのものの善行為の話です。

誰かが善行為をしたとする。他の人は参加できなかったかもしれない。それに、どうせ個人個人でもいろいろ善い行為をしているのだから、その上、いちいち他の人の善行為まで参加することは、なかなかできない。その場合は、「一緒にやりましょう」ではなくて、善行為をした個人個人が、お互いに「私が得た徳をみんなにあげるのだ」と自分の徳をパティダーナする。他の人も、「私が得た徳をみんなにあげるのだ」とみんながそれぞれ「自分が得た功徳をあげる」ことにする。これなら、実際に現場に行って作業に参加して石を運んだりして身体を使う必要がなく、心のはたらきと言葉で宣言するだけなので、簡単にできるのです。それで心が、狭い自我意識から大きな平等の心へ育ったら、この善行為は大成功です。

 

 

うむ、

この間、オリンピック開催に4連休のときに、お寺の草むしりに行ったのですけど、なんて言いますか、 善行為という感覚はなくて、「暑いから、草が生えているかな」とか「なにかと忙しいのでこの日一日しか時間がとれないや」あまり深く考えずに、単なる作業としてやりました。

 

うむ、

これでは、ちょっと足らないのですね。

作業が終わったあと、「この功徳を生きとし生けるものに回向いたします」と言えばよかったですね、そのほうが自分の心にも良さそうですし。

 

 

善行為ひとつでも損のないように・・。と教えてくれる本です。