oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

256 正しい食生活 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

心を成長させて清らかにするためには、まず、しっかり健康でいなければなりません。

健康でいるためには、食べ過ぎはいけません。健康といっても身体の健康だけでなく、心の健康も必要です。

食べ過ぎたら身体も病気になりますし、それに伴って心も病気になり、怠けてしまいます。それから、食べることに執着したり、食べるものを探すために、自分の生きる時間が全部それに消費されてしまいます。八十歳で死ぬ人に、「あなたはこの一生を生きてきて、何をやってきましたか?」と最後に振り返って聞いてみたとき、「八十年間も食い物を探していたのだ」と答えるなら、それはちょっと虚しすぎる結果でしょう。

そういうわけで、食べ物にあまり執着しないようにする。身体を維持できるくらい、身体と心の健康を保てるくらいに食べましょう、と考えるのです。

 

うむむむ、外食する際、根がケチなもので、同じ金額を払うのなら、美味しいものを出してくれる店を選んでしまいます。

そのために時間を使うのも、ホントはバカらしいのですね。

美味しいものを探して、ありつけなくて、がっかりして自分の心を汚す、というパターンはやっぱりよくないです。

 

 

先生の法話で聞いたことがあります。

「あるもので美味しく」がいちばんよいのではないでしょうか。

 

下記のリンクが勉強になります。

j-theravada.net

 

上記で先生は「食べ物は肉体の管轄」とおしゃってます。

 

日常生活では

あれ食べたい、これ食べたい、これ不味いからいらない、あれは美味しかった、お腹いっぱい食べたい、美味しいものはどこ?などと心をグルグルかき回して煩悩全開で、食べ物に接していますね。

 

日常生活では、けっこう煩悩が主役です。

 

でも、仏教では、食べ物は心の管轄ではなくて、単純に肉体の管轄なんでしょうね。

 

ヤバイ、ふらついている、何か食べないと死んでします、修行ができなくなってしまう、ということで、あるもので済まして身体を維持しようとするわけですね、そこに思考というか感情というか、煩悩が主役になることはありませんね。

 

食と心はまったく関係ないということで上記リンクより「食の観察」を引用

私はよく観察してこの食を受けます。この食は楽しみのためではなく、精力をつけるためではなく、良い体格のためではなく、容姿を麗しくするためでもない。ただ単にこの肉体を維持するためである。不快感を控え、修行の支えになるように、この食により、過去の苦(空腹の苦)を無くします。新たな苦(満腹の苦)も起こしません。この食によって、過ちを犯さず穏やかに過ごせますように。

 

偉そうなこと書きましたが、私も食に関してはけっこう煩悩だらけです。

 

お腹が減らなきゃ食べなきゃいいし、肉体労働の前はしっかり食べればいいし、探さなくてもあるもので充分だし、食に関しては身体が主役です、と教えてくれる本です。