oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

266 老いても、できることはたくさんある 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

「私が生きていると、みんなの役に立っているのだ」と思えるならば、「人生は苦しい」とか、「なぜこんなことをするのか」とか言う暇がないのです。自分が生きていることで人が助かっているのだから、必死で生きていかないといけない。そうやって自分にポジティブになる生き方を選びなさいということです。仕事がつまらないと感じた瞬間に考えてください。「あなたの仕事は、どれくらいの人の役に立っているのか?」と。役に立つ生き方はいくらでも見つかります。年寄りは年寄りなりにできることがあるのです。

たとえ寝たきりになっても仕事があります。寝たきりになったら、自分の孫たちに、看病することや老人を大事にすることを教えてあげられます。孫たちが来るたびに、「私には素晴らしい孫がいて、なんて幸せでしょうか」と褒めてあげるとか。「こんな優しい孫がいてよかった」とかね。そう言ったりすると、孫の人格も変わります。「仕事があるのに私の見舞いに来てくれて、なんていい子だ」という一言で、寝たきりのおじいいさん、おばあさんでも人類に貢献しているんです。そんな生き方だったら、困ることなく簡単に実践できます。

 

バリバリの私見で恐縮です。

 

まったく身寄りのない、一人暮らしの寝たきりになっても、やるべきことはあるのかもしれません。

 

気になった本はこれ

 

 

 

カンポンさんはベッドの上で身体の機能で動かせるところを使って、それに気づきを向けていくという修行を続けました。

 

気になる部分を引用します。

こうして気づきの瞑想をしていき、自分でも少しずつ身体を動かせるようになっていきました。ずっとベッドに横になっていますので、床ずれができます。両親が私の身体を動かしてくれるのですが、あるときこう言いました。

「お父さん、いいよ。自分でやってみるから」

いつしか床ずれをなおすための動きも自分でできるようになりました。

自分でご飯を食べてみる。そして気づいていく。毛布をたたむ。そして気づいていく。毛布をたたむ一瞬一瞬に、気づきを向けていく。それでもう十分です。それだけで幸せな気持ちになりました。こうしたことすべてが気づきの瞑想になりました。

毛布をたたむとき、私の動きはゆっくりかもしれません。でも、早くたたむ必要はありません。たたむために、たたむのです。やっていることのためにやるのです。

私たちの人生を早く急いで、いったいどこに行くのでしょうか?急いだところで未来に待っているのは死です。急いで死にたいですか?急げば疲れてしまいます。人生を大切に生きましょう。

 

カンポンさんは両親が看ていましたが、例えば私自身が、まったくの身寄りのない独り暮らしの寝たきりになっても、なんとか最低のセーフティーネットは確保しつつも、ベッドの上でも、やるべきことが山ほどあるとカンポンさんは伝えていると思います。

 

 

死ぬまでやるべきことがある、と教えてくれる本です。