oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

273 「自分」と「自分の身体」を切り離す 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

いろいろな病気で悩んでいる人は、心の態度を変えることが一番大切だと思います。第一にしてほしいことは、「自分」と「自分の身体」とを離して考えることです。「私が病気だ」と思うのではなくて、「この身体が病気だ」と観ることです。病気という言葉も使わないほうがいいでしょう。「この身体がうまく作用しない。故障だらけの身体だ」と、身体を機械のように客観的に観る。どこか痛い場合は、「この身体の胸のほうが痛い」「この身体の足のほうが痛い」と観てください。これは瞑想の実践です。自分が自分の身体から離れて、外から身体を観察する監視役のようなものになってほしいのです。ズキズキする、チクチク痛いなど痛みにもいろいろありますから、自分が感じるように言葉を選んでください。

咳が出る場合は「この身体は咳が出ている」、痛い場合は「この身体に今こういう痛みが出ている」というように、自分と身体を少し離して客観的に観る。この実践を続けると、病気がかなり和らぎます。「病気を治したい」という願いはとりあえず横に置き、身体を観察する実践だけをしていけば、きっと良い結果が得られます。

 

バリバリの私見です、

 

人間に生まれてよかったなあ、と思える一つに「身体」があること、「身体」があるおかげで仏教のいろいろな実践をすることができます。

 

動物にも「身体」はありますけど、観察する実践はできなさそうです。

神様は身体がないので、身体を使った実践はできなさそうです。

餓鬼さんの身体も観察には使えなさそうですし。

地獄は、なんだかすべて無理なような感じがします。

 

やっぱり人間に生まれて良かった。

 

 

で、身体を使った仏教の実践は健康なときでも、病気になっても使えそうですね。

 

まっさきに思い出したのはこの本

 

 

 

引用

このようにして、自分の身体の機能で動かせるところを使って、それに気づきを向けていくという修行を続けました。最初は大変だと思ったことも、少しずつ、少しずつ、続けていくうちに、簡単にできるようになりました。「何もすることがない、でも今の自分に何ができるだろう」」と考えて、いろいろ試しました。そこに気づきを向けていく。

こうして気づきの瞑想をしていき、自分でも少しずつ身体を動かせるようになっていきました。ずっとベッドに横になっていますので、床ずれができます。両親が私の身体を動かしてくれるのですが、あるときこう言いました。

「お父さん、いいよ。自分でやってみるから」

いつしか床ずれをなおすための動きも自分でできるようになりました。

自分でご飯を食べてみる。そして気づいていく。毛布をたたむ。そして、気づいていく。毛布をたたむ一瞬一瞬に、気づきを向けていく。それで、もう十分です。それだけで幸せな気持ちになりました。こうしたことすべてが気づきの瞑想になりました。

 

これを読むと、「どこに問題がある?」「なんの問題もありませんね」と感じます。

 

病気になろうがなるまいが、仏教徒でよかったなあ、としみじみ思います。

 

 

仏教徒なら最後の最後まで自分の身体を使い切ってみたらどうですか、と教えてくれる本です。