oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

279 死を心配する必要はない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

死ぬということを大げさに言うのは、生きていきたくてたまらない人間です。人間は瞬間瞬間死んでいるのですから、そんな余計なことは心配する必要はありません。

テーラワーダ仏教には死随観という伝統的な瞑想があります。瞬間瞬間の死を観察する瞑想です。ゲームみたいで面白いですよ。「ああ、年をとっちゃった」「寿命が一日短くなった」「明日は生きているかどうかわからないのだ」そのような瞑想です。別に暗い話ではありません。楽になるだけです。

 

上記の文章は下記の本から

 

 

 

幸せの4つの因子のお話が興味深い前野先生と先生との対談本です。

 

サンガさんは、けっこう対談本にも熱心に取り組んでました、新生サンガさんにも大いに期待したいです。

 

「死随観」つまり「死の瞑想」なのですけど、下記の本に初心者に方にもわかりやすく掲載されています。

 

 

 

というか、縦横無尽の満載です。

約30ページにわたりみっちり掲載されています。

 

気になる部分を引用

それはそうでしょう、「お昼はラーメンを食べましょう」という人に向かって、「なぜ昼はラーメンでなくてはいけないのですか?その論理的理由をお聞かせください」などという話にはならないからです。ラーメンを食べたくない人は、ああ、そうですか、でも私は蕎麦にします」と言っておしまいでしょう。

ところが「死」というビジョンはちょっと違うのです。「死の瞑想法」を特徴づける最初のポイントは、ラーメンか蕎麦かといったように「死観」をあれこれと並べたり、対置したりすることではなく、「死観」における違う見方、違う見解、違う哲学がはたして成り立つのだろうかと論理的に考察し、哲学することにあるのです。

 

巷では、けっこう「死」を「ラーメンか蕎麦か」の見解というか考え方が溢れていますね。

 

 

老病死は現象にすぎないのに、そこに見解とか哲学ってあるの?

好き嫌いもあるの?

貪瞋痴で見ていいの?

 

 

うむむむ、

詳しくはやさしく詳しく死随観を解説している本書をお読みください。