oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

280 死を意識して生きる 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

生きているものはみな死ぬ、私も死ぬのだ、と考えることはひとつの瞑想です。

ヴィパッサナー瞑想を支える一つの瞑想です。死を念じるのです。「死の随観」といいます。

そんなことは、暗いと思うかもしれません。でも逆に、「明るい未来を目指して頑張れ」と言うことこそ、苦しみの呪文なのですよ。明るい未来を目指す、ということは現在が暗いからなのですね。死を意識して、今という瞬間をしっかりと生きる。それが明るい生き方なのですね。

 

バリバリの私見です。

 

老病死といえば下記の本です。

 

 

上記の本に「死の瞑想法」実践のヒントが出ています。

 

まずは、「葬儀こそチャンス」とあります。

 

まあ、以前、日本のお葬式は文化的な背景もありけっこう派手なのもありました、最近はお坊様も呼ばず直葬というのもあるらしいです。

 

気になる部分を引用

物哀しい音楽を流して荘厳な雰囲気を出したり、お坊さんを何人も連れてきて豪華な葬式を執り行ったとしても、別に死者が浮かばれるわけでも、天国に行けるわけでもありません。そうしたことは死者とはなんの関係もない、葬儀を行う側の勝手な感情なのです。死去した人の来世はその人個人の業の結果によるものです。派手なお葬式をやったからといって、それは故人の善業にはなりません。しかし、故人をありがたく思うこと、感謝を込めて壮麗な葬式を行うことは残された人々の礼儀なのです。

 

続けます

 

一番大切なことは、遺体を見て、「私もこのようになる、自分の体もいずれは死んでこのようになるのだ」という「死の瞑想法」を実践することです。そうすると、自分の中で大きな変化が起こり始めます。

 

実践によって自分にどのような変化が起きるか?

詳しくは本書をお読みください。

 

 

うむ、お葬式こそ「死の瞑想」実践のチャンスなのですね。

 

「仏教は実践ですよ」と誘ってくれる本です。