oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

282 人が死について語るのは妄想 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

実際に瞑想する方は、よくわかると思います。

瞑想すると、すごく嫌な気持ちが出てきます。しかし、瞑想は、考えてみれば仕事や料理より簡単なことでしょう。それなのに、もし、お坊さんから「二時間瞑想すれば覚れますよ。あるいは、一か月間ビルの掃除をすれば覚れますよ」と言われたら、あなたはどちらを選びますか?おそらく一か月のビル掃除を選ぶことでしょう。生きることと違ったことは、脳がやりたくないからです。

生きるための維持管理で精一杯の脳には、「死」というプログラムはありません。。「死」は理解不能です。しかし、世の中には人々に死がいろいろありますから、自分勝手な考え方で「死」を理解します。そもそも、脳には死を理解できないのですから、勝手に死を理解しても、それは正しくはありません。その正しくない理解からあらゆる妄想概念をふくらませ、死について実にたくさんのことを語ります。死について人間が語る内容はすべて、ゴミと同じようなもので大したことはありません。

 

 

私見で恐縮です

 

連想したのは下記の本

 

 

瞑想の上級編みたいな本です。

 

ヴィパッサナー瞑想をどんどん進めていく、その過程について書いてあります。

第六章の「行道智見 清浄」の「怖畏智」に「死」の単語が出てきます。

 

で、引用

「真理を知らないから、みんなのんびり楽しんでいるのだ。常に次々と滅していることが、ありのままにわかれば、すべてが恐ろしいものばかりだ。心身が滅亡するたびに、自分も死にさらされているのだ。今世で初めて生じるのも怖いものだ。果てしなく繰り返して生じ、現れるのも怖いものだ。幸せになるため、楽しむために努力するもの怖いものだ。永遠の望みを努力しても、すべてが常に滅び続けてゆくものだから怖いものだ。改めて生まれ変わろうとしても、更に次々と滅するであろうから怖いものだ。結局、老・病・死・愁悲・苦・憂・悩を伴っているから、すべてが怖いものだ」と考えるのです。

このように考えることも見逃さずに念じてください。

 

瞑想を進めるにつれ、いろんな生滅がわかってくるので、怖いとか、畏れる、が生じたのでしょうか、でも、それ自体も観察、念じていきます。

 

うむ、誤解を恐れず言うと、なんでもヴィパッサナーのネタになりそうです。

 

 

妄想概念に塗れ立ち止まってしまうことは、瞑想の障害である、というのは間違いないみたいです。