oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

283 「死んだらどうなる?」の質問の本意 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

「死んだらどうなるのか?」と質問されたら、答えは「死んだら新たなものが現れます」言うだけのことです。なにかが壊れたら、新たなものが現れます。たとえば、ペットボトルをリサイクルしたら、まったく別な品物が現れます。死んだらどうなるのかと言ったら、「新たなものが現れる」。答えは、それで終わりです。

しかし、「死んだら新たなものが現れます」という答えでは、みんな納得がいかないのです。なぜなら、誰でも、ごまかしていることがあるからです。「死んだらどうなりますか?」という質問の本意を正しく表すと、「私が死んだらどうなるのか?」ということなのです。しかし、そういうふうに明確に聞かないものです。

ズバリ聞きたい「私が死んだらどうなりますか?」という質問の場合は、「『私』とは何か?」ということが問題になります。「これが私です」とはっきり示してください。そうすれば、死んだらどうなるか答えられます、ということになります。ですから死の問題は、覚りの智慧で話さなくてはけいない、大変難しいテーマなのです。

 

 

えーと、前にも述べたいきることの定義です。

j-theravada.net

 

引用

最終的な定義に入りましょう。ひとには眼耳鼻舌身意という六つの感覚器官があります。それに色声香味触法という六つの情報が触れて、認識が起きて続きます。それが生きることです。

 

生きるってこれだけですね、うむ『私』はどこにもないみたいです。

 

「死」に関しては下記の本

 

 

アビダンマの用語をまとめた本ですけど、「死」に関しては

「死随念」しかありませんでした。

 

引用

死随念

生命は必ず死ぬという普遍的事実を対象にして、繰り返し念じる瞑想のこと

 

うむ、死は現象にすぎなく、瞑想のネタになりそうです。

というか、それだけですね。

 

で、死んだらどうなるか?

 

新たなものが現れるし、行くべきところに行く、としか答えれないですね。

 

 

修行の足らないテーラワーダ仏教徒の私としては、「死」に関しては以上の理解でやめておきます。

 

 

仏教は死に関してはそっけないですけど、巷はそうではないのですね。

うむ、けっこう「死」のテーマが長い本です。

22ページも続きます。

そんなにもいらないのになあ、と個人的に思っています。