oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

284 死を意識する『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

死ぬということは必ず起きることなのですから、できるだけ早く考えたほうがいいのです。子どもに対しても、「自分も他人も死ぬんだよ」と教えてください。

そうすると、世の中が正しく見えてきます。物事を考えるようになった時点で、「人は死ぬものなんだ。同じように私も死ぬんだ」と、よく観察しなくてはいけないのです。

私の母も、いつも「人は死ぬんだよ」と教えていました。「いつまで甘えているんだ。私が死んだらどうするんだい?」と言っていました。子どもの自分は、母親から死ぬと言われて、ものすごくショックでした。

でも、いつかは死ぬんだ、みんな死ぬんだと、死を意識していると欲がなくなってきます。みんなと仲良くするようになります。それで心が明るくなるんですね。

死に至る病気になってから考えるのでは、もう手遅れです。若いうちから考えておかないといけません。そうすると、執着、欲、怒りが少なくなって、豊かな人生を歩むことができます。

 

バリバリの私見です。

 

お葬式に出席し、お坊様のお話で・・・。

故人の思い出話とともに、「(亡くなられた)○○さんは、いま三途の川を渡っているところです」とおしゃってました。

 

?????

 

お葬式でも、亡くなったら「浄土」や「天国」に行くとか、天国で私たちを見守ってくれているとか・・・、そんな話を聞きますよね。

 

?????

 

うむ、そんなことやってると、先生のお話の本意からどんどん離れていきますね。

 

で、この本

 

 

作者がまだ小さい頃の父親との会話

 

引用

私は父に尋ねました

「お父さん、うちもいつか死んじゃうの?」

「んだ、みんな死ぬ」。

「お父さんもお母さんも、おばあちゃんも、仁美(妹)も、生まれてきた人はみんな死ぬ」

息が止まるほど驚きました

「みんな死ぬのー?」

「みんな死ぬ」

「死んだらどこに行くのー?」

「誰にもわからない」

こんなにも救いようがない答えがあるでしょうか。

けれど父の答えは真実だったのです。

 

そうですね、死に関しては本当のことを伝えたほうがいいですね。

 

 

さて、また話を変えます。

 

アビダンマの本に掲載されている「死」についてです。

この本

 

 

で、索引で調べると

死・・・・・・・・75ページ 238ページ

死の生起・・・・・163ページ

 

以上3ページしかないです。

 

75ページは「死心」でしたので昨日やりました。

 

で、238ページは縁起支に出てくる「老死」の「死」ですね。

 

で、この図

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かいつまんで勉強

 

十二縁起の図です。

無明という縁から行→行という縁から識→識という縁から名色→名色という縁から六処

→六処という縁から触→触という縁から受→受という縁から渇愛→渇愛という縁から固執→固執という縁から有→有という縁から生→生という縁から老・死・愁・悲・苦・憂・悩

 

ん?十二支に、愁・悲・苦・憂・悩が含まれていませんね。

本の解説によると

引用

それは、生があれば必ず老死が生じるからである。つまり老死は生本来の果であるから十二支の中の一支に数えるのである。しかし愁などの5は、生があれば必ず生じるという性質のものではない。例えば梵天や或る欲界天にはなく、また人界でも結生して間もなく死ぬ人などには無い。つまり愁などの5は生によって起きる間接的な等流果にすぎないから支に入れないのである。

 

で、「老・死」の説明です。

引用

 

老とは、結生以来死ぬまでの間における世間異熟名蘊・業生色などの老いる状態である。

 

死とは同じく世間異熟名蘊・業生色の死滅すること。

 

せっかくだから復習します。

いろいろ分類できるみたいですね。

 

3時

過去時 無明と行

未来時 生と老死

現在時 他8つ

 

 

二十行相 四合集(過去因・現在果・現在因・未来果)

 

過去因 無明・行・渇愛・固執・有

現在果 識・名色・六処・触・受

現在因 渇愛・固執・有・無明・行

未来果 識・名色・六処・触・受

 

 

第一連結 過去因と現在果をつなぐもの

第二連結 現在果と現在因をつなぐもの

第三連結 現在因と未来果をつなぐもの

 

生・老死というと未来果に入りそうな気がしますけど、本では、「この生や老・死は別に自性がなく、識・名色・六処・触・受の5が生・老死に他ならない。故に未来の果も5といわれる。

 

自性がない→それぞれ独自の性質がない、ということでしょうか。

 

生・老死は現象にすぎないので、性質は無いのでしょうね。

 

 

 

巷の知識というか本は「死」に関してはいろんな見解がたくさんあり、あふれていますけど、仏教では、現象にすぎないし、仏教を説明するための用語の一つにすぎないし、やっぱり、どーのこーのはありませんね。

 

残るは、163ページの「死の生起」になりますけど、これもあっさり終わりそうな気がします。

 

 

うむむ、アビダンマは3ページだけでしたが、この本は死に関する記述が22ページもあります、みっちり勉強できる本です。