oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

288 私が消えれば死の疑問は成り立たない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

「私が死んだらどうなるのか?」という質問に対して、お釈迦様は、まず「私」を発見しなくていけないよと教えています。そして答えも出しています。「私は、いませんよ。それは幻覚にすぎません。調べてごらんなさい」と。そこで、我々は瞑想修行をして調べてみるのです。調べてみると、「なるほど。これが幻覚か」とすぐわかります。「私」という感覚が消えたら、死んだらどうなるのか、という疑問は成り立ちません、「壊れたら何か現れる、壊れたら何か現れる・・・」ということになるのです。

 

うむむ。

これは「死」の話をネタに「我」の話をしているのだと思います。

 

「私がいない」ということを発見することになるのでしょうか?

 

「自我」とか「我」とか「有身見」とか・・・。

死をどうのこうの考えるより、この「我」というか「有身見」のほうが煩悩を引き起こし、ヤバイヤバイ輪廻を引き起こすので、「死」よりも、「我」にみっちりページを割いたほうがよかったのになあ、と思います。

 

「死」は現象にすぎませんが、「我」はどこまでも(輪廻とともに)付きまとう感じがします、「我」のほうがやっかいだなあ。

 

へなちょこ仏教徒の私にも、いつも「我」がつきまといます。

「私が・・・」「私が・・・」と毎日、言ってますね。

 

 

仏教の要点をズバリズバリ無駄なく書いてある下記の本

気になる部分を引用します。

 

 

引用

(瞑想実践を進めると)

そして、「名と色の要素が生じた際に、それらを念じるたびに、名と色の要素は、それらが各自持つ性質と条件によって生じるのであり、私たちがそうしてほしいと願ったから生じるのではない」とい理解が生まれます。そこから瞑想実践者は「名と色は要素にすぎない。それをコントロールすることはできない。それは人とか生命体と言えるようなものではない」ということを理解します。これが無我随観智です。

 

 

バリバリの私見で恐縮ですけど、「死」とか「我」をいろいろ考えるというか悩むというか、その前にやることがあると思うのですけど・・。

 

法友からいただいた下記の本、えーと売ってないです。

仏教の要点が簡潔に無駄なく書いてあります。

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47ページ、すべての仏教徒のための基礎 より。

 

引用

あらゆる悪行を避ける

 

あらゆる善行を努力して行う

 

心を煩悩の汚れから離れさせ清浄にさせること

 

 

特に1番、これを守らなければ、2番、3番は無いです。

 

引用

悪行とは何か?

悪行とは罪があり、悪い結果をもたらす行為です。

例えば殺生は罪があり悪い結果をもたらします。人を殺せば、もっと重罪です。来世でも短命・不健康・低いレベルの生を受けます。

人の物を盗むことは悪行です。今世においても罪があり、来世などでも貧困という悪い結果をもたらします。

同じように嘘をつく、讒言する(離間語)くだらないことを言うなども口業の悪行です。

悪い意行・口行・身行は悪行です。これは罪があり、悪い結果をもたらします。ですから釈尊はこのような悪行を行うなと説かれました。

 

 

へなちょこ仏教徒の私は五戒をすっ飛ばすことなく、地味に実践していきたいです。

 

まだまだ「死」に関するページが続きます・・・。