oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

295 ありがたいこともありがたくない 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

私たち人間は、生命はすぐに死ぬのですから、これを助けてくれる人というのはありがたいと思い込みます。

生きていることを支えてくれるものは、何であろうとも「善いもの、価値のあるもの」と思ってしまいます。

しかし、ありがたいことがいくらあっても、ありがたくないのです。

なぜなら、死ぬからです。死に対しては、どんなありがたいことも支えてくれません。自分という存在は無常ですから、死にます。

「死なないために」と考えて得るものは、すべて無常のものです。助けてくれるはずはありません。おぼれて死にかけている人は、波を握って助けてもらおうと思っても、おぼれます。助けてもらいたいと思うならば、なにか流れないものをつかまなければなりません。

無常のゆえに死ぬ人は、無常のものにしがみついても、死ぬことは避けられません。

ですから、あれこれ、ありがたいと思うこともあべこべです。

 

上記の文章は下記の本より

 

 

顛倒のお話ですね、顛倒について縦横無尽、満載の本です。

 

引用

顛倒が起こる場所は「概念の顛倒」・「心の顛倒」・「見解の顛倒」・の三か所である。「概念の顛倒」・「心の顛倒」・「見解の顛倒」それぞれの段階に、「常住」という顛倒、「楽・善」という顛倒、「我はいる」という顛倒、「身体はきれい」」という4種類の顛倒がある。

 

本では「やってはいけない顛倒4種」で上記の顛倒の詳細な説明があります、ぜひ本書をお読みください。

 

「ありがたいものはありがたくない」は、この4種の顛倒にいずれかに入りそうですね。

 

ここで脱線

養老先生の死に関するお話がおもしろかったです。

 

 

また、本に戻ります。

引用

183ページ

「生・老・病・死」はぜんぶ同じこと

「生・老・病・死」というのは、4つではなくて、実は同じものです、たとえば、命を玉だと思ってください。玉なら側面はひとつしかないしょう?紙だったら裏と表がありますが、ボールだったら一つでしょうね?その球体に「生・老・病・死」と書いてあるのと同じことなのです。ボールは同じボールで、それを見る側面によって、単語が違ってくるだけです。

 

うむ、養老先生のお話を聞いて、これを読んで、なんだか理解した気になっています。

 

 

いつもながら勉強の機会を与えてくれる本です。