oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

297 死を悲しむのは恰好が悪い 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

自分の子ども、親が亡くなったと悲しむとき、「自分は相変わらず元気だ」という前提があるのです。自分はぴくりともしない川岸にいて、流される木の葉を哀れむような傲慢さです。しかし、そんな話がどこになるのでしょうか?人間なんて、いつ死んでも不思議はありません。

だから、人が死んだと悲しむことは、本当はすごく恰好の悪いことなのです。それなのに、周りは「この人は優しい人だ」と褒めたりもする。

本来、人の死に目に泣くなんて、褒められるようなことではありません。それは無智で恐ろしいことなのですよ。

覚った人は泣きません。人が死んでも平静なことは、残酷なことでも冷酷なことでもありません。覚った人には「私だけ違う」という偏見まみれの暗黙の了解がないのです。自分も無常、自分も刻々と死につつあるのだから、他人の死に動じないのは当然の反応なのです。泣けるはずがないのです。

 

私見です

以前、先生の法話で、身近な人が死んで泣くのは「損をしたから」というか「損をさせられたから」というようなお話を聞いたことがあります。

 

遠い外国で紛争とかで人がたくさん亡くなってもなんとも思いませんが、自分の身近な人が亡くなるって、ある意味、自分が損をしたので悲しいのでしょうね。

 

 

下記のジャータカ物語を参照します。

j-theravada.net

 

菩薩様が唱えた詩句を引用

あなたたちは、すでに死んでしまった者のことばかりを悲しみ
これから死んでいく者のことは悲しまない
身体をもつすべてのものは、次々に命を失っていく
神も、人も、四つ足で歩く獣も、鳥の群もとぐろを巻く蛇も
その身体には力がなく
楽しみを追い求めながらも死んでいく
このように変化し定まらない人間の苦や楽に嘆き悲しんでも無益であるのに
何故あなたたちは心をかき乱されるのか
博打打ち・大酒のみ・悪人・愚者・
世渡りの上手い人・戦争に勝つ勇者・心を育てていない人は皆
「世間の法則」を知らないが故に愚者である
と賢者は説く

 

次に先生のコメントを抜粋します。

人との死別が悲しみの原因になるのは、自分が喪失して、損をしたからです。

人間は、心の中で「私は死ぬ訳がない」と思っているのです。だから人々は、生きることだけに執着し、悪事を犯してでも生きようとして、愚かで無意味な人生を送るのです。

 

うむ、ここまで書いてみて、人の死を悲しむというのは、バリバリ「我」が活発で元気でないと出来ないということです、バリバリに貪瞋痴に塗れている、ということですね。

 

 

死を悲しむこともそうですが、それ以前に「我」とか「貪瞋痴」の問題なのではありませんか?と教えてくれる本です。