oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

300 死を念じることが、心の開発につながる 『一瞬で心を磨くブッダの教え』

引用

人は死を認めません。「私は死なない」という前提で、自分の人生を設計するのです。間違った前提のうえに成り立つ計画は、崩れるに決まっています。人々は「幸福になりたい」と計画します。それが悩み苦しみという結果に終わるのです。この問題を解決しなくてはいけないのです。やり方はひとつです。「私は死ぬのだ」と確認して認めることです。心や脳の中には、自分の死を認める回路がありません。死を避けたいという能力ならあります。ですから、死を念じることが、心の開発につながります。

 

 

バリバリの私見で恐縮です。

 

うーむ禅問答みたいな文章です。

「死を確認して認めることだ」とおしゃっていますけど、「心や脳の中には、自分の死を認める回路がありません」とあります。

 

煙に巻かれている感じがします。

 

なら、どうすればいいでしょう。

 

真っ先に浮かんだのが下記の動画


www.youtube.com

 

 

もう端的に「生きているということがわかっていないのに、死ということがわかるわけない」

 

「自分の死を考えることは意味がない」「確かめようがない」

 

で、わかるのが

「親しい人の死・・2人称の死」

「赤の他人の死・・3人称の死」

 

2人称、3人称の死に接すること・・・・。

それくらいは理解できるでしょう・・・。

 

そこに死隋念の具体的なヒントがありそうです。

 

うむむ、まだまだ「死」の項目は続きます。