引用
理性で考えれば、天国を創った人々は早く死んだらいいのに、なぜ、一分、一秒でもこの世に長くいたいと思うのでしょうか?それは、「死後は永遠なり」という保証がまったくないからです。しかし、仏教は、一分、一秒でも長生きしなさいと明言できます。なぜでしょうか。徳を積むこと、善行為をすること、心を清らかにすること、これは人間でなければできないからです。ですから、「命を粗末にしないで、しっかりと心を清らかにするようにしなさい」「一分でも長生きができるように食事もコントロールして、しっかり生きてみなさい」と説くのです。
長生きを祝福する権利があるのは、仏教だけです。もし、他宗教で長生きを祈願したならば、その人が天国に行く道を阻むことになります。天国で幸福になることを延期するのは罪でしょう。早く神様のところへ行ったほうがいいのではありませんか。仏教は、「死んだらどうなるのかわかりません、地獄に堕ちるかもしれないのですから、一分でも長生きしましょう」「その一分間ででも善行為、善いことをしましょう」という理屈なのです。
バリバリの私見です。
死んだら、天国や浄土に、もれなく行くことができる、天国や浄土というと、なんかすごいユートピアみたいなイメージがありますけど・・・。
ただ因果法則を考えると、今世でさんざん悪いことをした人が、天国や浄土に行くというのも????な話なのですけど、まあ、天国や浄土に行っても、いずれどこかで自分のやってきたことが結果を出して苦しむことがあるかもしれません。
ただ、パッと見た感じでは、天国や浄土って、因果法則を否定しているような感じなので、ちょっとお話に無理があるなあー、です。
天国や浄土なんかよりも、仏教の教えってシンプルです。
下記に集約されてます。
引用
諸仏の教え(Dhammapada Nos. 183-185)
- 183.
- Sabba pāpassa akaraṇaṃ, kusalassa upasampadā,
- サッバ パーパッサ アカラナン クサラッサ ウパサンパダー
- 一切の悪行為をおこなわないこと。善に至る(善行為をおこなう)こと。
- Sacitta pariyodapanaṃ, etaṃ Buddhāna sāsanaṃ.
- サチッタ パリヨーダパナン エータン ブッダーナ サーサナン
- 自らの心を清めること。これが仏陀たちの教戒である。
- 184.
- Khantī paramaṃ tapo titikkhā,
- カンティー パラマン タポー ティティッカー
- 忍耐・堪忍は最上の修行である。
- Nibbānaṃ paramaṃ vadanti Buddhā;
- ニッバーナン パラマン ワダンティ ブッダー
- 涅槃は最高のものであると、仏陀たちは説きたもう。
- Na hi pabbajito parūpaghāti,
- ナ ヒ パッバジトー パルーパガーティ
- 他人を害する人は出家者ではない。
- Samaṇo hoti paraṃ viheṭhayanto.
- サマノー ホーティ パラン ヴィヘータヤントー
- 他人を悩ます人は「道の人」ではない。
- 185.
- Anūpavādo anūpaghāto Pātimokkhe ca saṃvaro,
- アヌーパワードー アヌーパガートー パーティモッケー チャ サンワロー
- 罵らず、害わず、戒律に関しておのれを守り、
- Mattaññutā ca bhattasmiṃ pantañ ca sayanāsanaṃ,
- マッタンニュター チャ バッタスミン パンタン チャ サヤナーサナン
- 食事に関して[適当な]量を知り、淋しいところでひとり臥し、坐し、
- Adhicitte ca āyogo etaṃ Buddhāna sāsanaṃ.
- アディチッテー チャ アーヨーゴー エータン ブッダーナ サーサナン
- 心に関することにつとめはげむ。これが仏陀たちの教戒である。
特に長生きを祝福するような言葉はないですけど、でも人間に生まれたからには、悪いことをしない、戒を守る、実践をする、ということが大事なのではないでしょうか?
仏教はわかりやすくてシンプルです、と教えてくれる本です。
たまに強烈に難しい部分もありますが・・・。