oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

007【定の実践】 第一部 理論編 戒の重要性 『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

引用

しかしながら戒を単独で実践することは賢明なことではありません。私たちが修行するにあたっては、定を実践することもまた、必要なのです。定とは心の集中、あるいは心を静めることを言います。

 

ここでは、戒定慧のお話ですので、「定」が出てきました。

 

戒の実践だけでは十分ではない、とのことです。

定も必要です。

 

定とはなんぞや、ということで下記の本より

 

 

ずばり「正定」についてです。

 

引用

「正定」とは、瞑想の実践などにより得られる、精神の統一・集中状態のことである。仏道では、世間の常識と異なり、無闇に何にでも集中することは奨励しない。世俗の価値観に照らし合わせて賞賛されることがすべて正定というわけではないのだ。

 

日常生活、仕事とか、スポーツとか、趣味とか、そういった集中ではないですね。

 

心を善くするための心の集中、心を静めることですね。

 

で、これらをやろうと思ったら土台になる戒の実践ができていないと、正定はできないと思います、戒と定は密接に結びついていると思います。

 

マハーシ長老のお話を続けます。

引用

通常、訓練されていない心は、あちらこちらをさ迷う癖を持っています。それは私たちのコントロール下におくことができず、あらゆる考え、思考、妄想などを追ってしまいます。このように心がさ迷うのを防ぐために、心を業処(ごっしょ)に繰り返し戻す必要があります。そしてそのような実践が進歩するにつれ、心はだんだんと妄想に陥ることがなくなり、対象にまっすぐ集中し続けるようになります。これを定といいます。

 

こんどは「業処」という言葉が出てきました、調べてみます。

巻末の用語解説を読んでみます。

業処

瞑想を行うときに所縁となる対象のこと、サマタ瞑想には、四十種類の業処がある

 

もうちょっと詳しく下記の本を読んでみます。

 

 

引用

業処とは、瞑想を行うときに所縁となる対象を指す、サマタ(止)とは特定の業処に繰り返し心を向けることにより、煩悩を滅し、集中力を育む瞑想である。そのためサマタ(止)には一境性を養う性質があり、業処によっては、修習することにより禅定を得られるものもある。

アビダンマッタサンガハでは止業処を40種類に分類し、解説している、これらの止業処は、瞑想修行者がその師から各々の課題として与えれるものであり。修行者が勝手に自分の行いたい瞑想にチャレンジするというものではない。あくまで瞑想の師が修行者に資質を見極めたうえで実践の順序を決め、取り組ませるものである。そして業処は特別な場合を除き、これらすべてを修習することはない。

テーラワーダ仏教には、ここに紹介した40種類のサマタ瞑想以外にも四念処など多くの修行法がある、この40種類のサマタ瞑想がテーラワーダ仏教の全てであると誤解されないよう留意されたい。

 

うむむむ、

私は出家ではないので師はいませんが、でも初心者瞑想をしてくださったお坊様がスマナサーラ長老でした。

 

そのとき、スマナサーラ長老が教えてくれたサマタ瞑想とは・・・

たぶん慈悲の瞑想になると思います。

 

すみません、勝手に解釈すると

止業処40種類のうち、無量4種類の慈悲喜捨にあたるのでしょう。

でも、もっと詳しく見ると慈悲の瞑想って、おもに慈の心を育てるような「慈しみの瞑想」のような気がします。

 

慈しみは止業処です。

スマナサーラ長老から教えてもらっています。

 

ですから、日常生活で頭や心がさ迷うようなら、慈しみに何回でも心を戻すようにしなければなりませんね、私の場合は・・。

 

 

うむむ、まだまだヴィパッサナー瞑想に進むことができません。

まずはみっちりと下準備ですね。

準備が大事ということを教えてくれる本です。