oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

008【2種類の定】 第一部 理論編 戒の重要性 『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

引用

定には、二種類のものがあります。それは世間的な定と、出世間的な定です。これら二つのうち、前者は四つの色界禅定や四つの無色界禅定からなります。これら世間的な定は、呼吸による気づきの瞑想、慈しみ、遍瞑想などといったサマタ瞑想を実践することによって習得することができます。

 

うむむ

ここでも「ん?」という言葉が出てきます。

「世間的な戒」」に続いて、「世間的な定」ですね。

 

下記の本で調べてみます。

 

 

 

私が持っている本は7巻、8巻の合冊本になります。

この1冊にサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の詳細な説明があります。

 

上記の本では業処の一つである地遍から「取相」「似相」から「禅定」へ進む過程が詳しく書いてあります。

 

アビダンマでは初禅から第五まで、五つの禅善心があるとしてますけど、経典では、第二禅定と第三禅定の区別をしてませんので4つです。

 

 

ですから、経典の第四禅定はアビダンマの第五禅善心にあたるのかな。

 

ここまでは色界禅定4つのお話になります。

 

色界禅定4つの過程を経ないと、無色界禅定に進むことはできません。

 

上記の本の142ページに掲載されてますけど、ここまでくると瞑想のプロというか、もう悟っているのではないか、と思うようなお話です。

でも、まだ悟っていないんですよね。

 

単語が凄いです。

テキストの用語解説より。

無色界禅定

サマタ(止)瞑想の実践によって得られる、死後、物質のない梵天界(無色界)に転生できる無色界の四種類の禅定のこと。空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処といった四つの瞑想対象を用いることによって得られる。

 

以上、「世間的な定」です、このくらいにしておきます。

 

 

 

次は「出世間的な定」です。

 

悟りの4段階に達した方の「定」ですね。

下記の本を参考にします。

 

 

「果定」「滅定」という単語が出てきます。

 

引用します。

禅・果・滅に入ることが禅定・果定・滅定であるが、禅についてはすでに述べたので、ここでは果定と滅定が示される。

先ず、果定に入定する場合、各の聖者が得ている果のみ入定することができる。例えば預流は預流果定だけ、一来は一来果定だけしか入定することができないのである。その果定に入定すれば在定中は果心だけが連続して生じている。しかし一定の時間が経過して有分心が生じて来れば、果心相続が途絶えて果定から出定するのである。

次に滅定に入ることができるのは、色界・無色界禅定を得ている不還・阿羅漢だけである。つまりそのように高度に心を修した者だけが、心心所を生じさせない滅定に入ることができるのであって、預流や一来にはまだその力が備わっていない。

 

 

 

当たり前ですけど、色界禅定、無色界禅定のステップを踏まないと、ここには来ることができないですね。

 

勝手な想像なんですけど、果定、滅定に挑戦できる修行者は、もう瞑想のプロ、初禅から第四禅まで自由自在なんでしょうね。

 

最後に『ブッダの実践心理学』に気なる言葉があったのでそれを引用します。

(前略) 瞑想はそうではなく意図的な脳の訓練です。自分で制御したからこそ、起きた現象です。「向こう側からやってくる」考えは、固定概念です。自分で作った、というのも正しくありません。瞑想体験は、そう簡単に作れません。「原因が揃ったから結果がおのずから現れる」、これが正しい答えです。

 

マハーシ長老は瞑想実践するには、まず「戒」や、呼吸による気づきの瞑想、慈しみ、遍瞑想など、きちんと原因(というか条件)を揃えていきなさいよ、とおしゃっていると思います。

 

戒と慈しみは、私が勝手に師匠だと思っているスマナサーラ長老から教わったので、与えらられた宿題だと思って条件を揃えないとですね。

 

ちゃんと宿題をやってますか?と迫ってくる本です。