oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

010【智慧の話】 第一部 理論編 戒の重要性 『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

引用

智慧には世間的な智慧と出世間的な智慧という、二種類のものがあります。今日、私たちの世界では文学、芸術、科学もしくはそれ以外の世間的なことにおける知識も通常、智慧の一種と見做されています。しかし、この種の智慧というものは、心の成長と関係ありません。そしてまた確実に善といえるようなものではありません。なぜなら、煩悩の武器の多くは、これらの知識を通して発明されるからです。それらは常に貪瞋、そしてそれ以外の邪悪な動機の影響下にあります。ただ、そうではあるものの、世間的な智慧の本当の精神は私たちにとって善だけがあるもので、どんな種類の不善もないものであるとはいえます。

 

バリバリの私見です。

 

「戒」「定」と続きました、次は「慧」なります。

「慧」にも、世間的、出世間的の2種類の慧があるとのことです。

 

ここで気になる言葉は

「心の成長」です。

巻末の用語解説を読みます。

 

心の成長(バーワナー)

パーリ語のバーワナーには、修習、修行という意味がある。

 

うむ、ずばり、世俗で行ういろいろなことはバーワナーと関係ないことが多いですね。

 

極端なことを言ってすみませんが、人間は基本的に仏教のバーワナーはやりたがらないです。

 

貪瞋痴を膨らますような行為は喜んでやりますけど・・・・。

 

貪瞋痴は喜んでやりますので、次の気になる言葉

「煩悩の武器」

訳注を読みます。

文学、芸術、科学などの知識はそれが善用されれば多くのよい結果をもたらすが、娯楽のための文学や芸術、人を害する科学技術など、私たちの煩悩を増大させるようにも用いることができる。

 

心の成長とは関係ない、むしろ煩悩を増大させるような知識や行為は、すべて「煩悩の武器」なのでしょうね。

 

で、文章の最後の部分

ただ、そうではあるものの、世間的な智慧の本当の精神は私たちにとって善だけがあるもので、どんな種類の不善もないものであるとはいえます。

 

うむ、ここで世間的な智慧の定義というか、見分け方を述べています。

 

仏教でいうところの「不善」のない知恵は、智慧といえるのかもしれません。

 

「不善」は仏教でいうところの「悪い」ことですね。

 

ここでも結局、「悪いことをしない」が大事になってきます。

 

いつものワンパターンな終わり方で恐縮ですけど・・。

 

「悪いことをしない、五戒を守る」です。

 

 

改めて戒の大切さを自覚させてくれる本です。