oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

011【智慧の話】 第一部 理論編 戒の重要性 『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

引用

真の世間的な智慧とは、私たちの福祉の向上と公共の事業に役立つものだからです。それは、いかなる害も引き起こしません。そのような真の意味での知識、経典の意味を身につけることを学ぶこと、そしてヴィパッサナー瞑想の発展には、聞所成智慧、思惟所成智慧、修習所成智慧という三つの種類の智慧があります。世間的な智慧を得ることの利点は、私たちをよりよい生まれという幸福な生活に導くものだというところにあります。しかし、それだけではまだ、地獄やそれ以外のみじめな境涯の存在に転生するリスクを防ぐことはできません。私たちは、出世間的な智慧を育てることによってのみ、明確にそのリスクを取り除くことができるのです。

 

私見です。

 

真の世間的な智慧は

仏教でいうところの不善ではなく。

「こころの成長」に役立っていて。

 

ということは、福祉の向上と、公共の事業にも役立つ、ということですね。

自分にも他人にも害を及ぼさない、ということです。

 

心は放っておくと、刺激を求めてさ迷いますので、自分にも周りにも、なんの役にも立たない、ということは何の成長もない、堂々巡りで終わってしまうことが多いのではないでしょうか。

 

成長が無いって、エンドレスに同じところをぐるぐる回っているイメージがありますね。

 

輪廻転生も同じなんでしょうね、なんの成長もなくグルグルと回っているだけなんでしょうね。

 

で、また、新しい単語が出てきます。

 

聞所成智慧

思惟所成智慧

修習所成智慧

 

ヴィパッサナー瞑想を発展させるための世間的な智慧3つ。

 

下記の本を参照します。

 

 

ウ・ウィジャナンダー大僧正のまえがきに詳しい説明がありました。

前略

つまり、人間は、自分の心身が変滅するごとに追いかけ念じているうちに、身体の本質を明確に知ることによって、自分自身が抱えている悩みや苦しみから解脱することができるのである。ただし、経典を読書して理解するだけでは、解脱どころか修行にもならないことを忘れてはならない。

ここに三種類の智慧のことについても知っておいていただきたい。

 

聞所成智慧

これは、子どものときから人を通じて教えてもらった智慧。

例えば、親、先生、友人、他の人々、あるいは、新聞、ラジオ、テレビなどである。

 

思惟所成智慧

1の聞所成智慧に基づいて、自分で考えたり、考察したり、考慮したりすることなど自己の努力によって得た智慧。

 

修習所成智慧

修行を実践し、自ら体験したことによって得た智慧。

 

もし、お経の意味がわかりますか?と聞いたら、ほとんどの読者は、はい、わかります、と即座に答えるだろう。もちろん、学者、知識人、宗教家などは、言葉も意味も解説も専門的に理解するかもしれない、だが、「わかる、理解する」というのは「悟り」ではない。前述した、1と2の智慧においての知識人にすぎないのである。社会的な知識人と認められても、修行、特に、瞑想に関しては知識人とは認めがたい。

 

ここまで書いて、ちょっと気になる言葉がありました。

下記の本

 

 

引用

智慧と悟りに違いがありますか?

一般的にいえば違います。智慧は解脱ではありません。智慧が現れた人は、その結果として解脱に達するのです。

 

 

仏教は目標、目的が明快です。

真の世間的な智慧は、行き先が解脱になっている智慧のことなのでしょうね・・・。

 

私自身、顧みるに、俗世にまみれて、いまだに貪瞋痴の知識にまみれています。

仏教の実践につながらない知識ばかりが増えていくようで、良くないです。

 

またまたワンパターンな終わり方で恐縮ですけど、悪いことはしない、五戒を守る、ということで1番、2番、3番を実践したいです。

 

 

日頃の自分を戒める本でもあります。