oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

011【道果の智慧】 第一部 理論編 戒の重要性 『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

引用

(世間的な智慧を得るだけでは)、まだ、地獄やそれ以外のみじめな境涯の存在に転生することのリスクを防ぐことはできません。私たちは、出世間的な智慧を育てることによってのみ、明確にそのリスクを取り除くことができるのです。

出世間的な智慧とは、道と果の智慧のことです。この智慧を養うことは戒、定、慧の三学の修行のためにヴィパッサナー瞑想の実践を続けるにあたって必要なものです。智慧の徳が充分に養われたとき、必要とされる水準の戒と定もまた、身につくことになるでしょう。

 

バリバリの私見です。

 

マハーシ長老は、世間的な智慧だけでは、輪廻のどうどう廻りは続くし、下手するとみじめな境涯に堕ちてしまう可能性があると述べています。

 

仏教を学ぶと、輪廻ってあまり楽しくない話です。

 

下記の本をいただきました。

f:id:oldmanbuddhist:20211123081729j:plain

発行元のスジャータ婦人会の皆さまありがとうございます。

えーと、売ってないです。

欲しい方は下記へのお問い合わせになるでしょうか?

sujaata.net

 

うむ、スジャータ婦人会、なんだか楽しそうです。

 

上記の本より引用です。

スマナサーラ長老がやさしく輪廻を説いてます。

輪廻の中の生命としての「生き方リセット」

それから、私たちはどこに生まれても、その生に限られた役、義務というものが、セットでついてきます。だから、生命は自由ではないのです。人間に生まれたら、人間社会が決めているいろんな義務・義理セットがあって、生き方はあれやこれや予め決められている。そこの中で生活しなくちゃいけない。他の生命も同じことです。私たちが知っているのは動物だけですが、それぞれの動物の世界に生まれても、それぞれの生き方が前もって、決まっているのですね。予め決まっているその演技をやって、なんとなく死んでしまうのです。

たとえば、犬に生まれ、犬として頑張って生きたとします。「あんた、犬として立派に頑張りました」という、その高得点も、次の生につなげられるかというと、つなげられませんね。またはじめから、次の生まれで、その生まれのセットで頑張らなくちゃいけないでしょ。

 

そうそう、人間もそうですよ。

「予めきまっているその演技をやって、なんとなく死んでしまう」

この言葉にガーンときました。

生物の一生って、こんなもんです。

 

 

「なんとなく死んでしまう」のは輪廻法則だし、次の生まれをリセットするのも輪廻法則だし、リセットならまだいいけど、やばい境涯に堕ちるのも輪廻法則だし。

 

ということで、やばい輪廻から確実に離れるために、マハーシ長老は、「出世間的な智慧」を身に着けることが大事、だとおしゃっています。

 

このためにも、「道と果」を目指して、安全地帯に入りましょう、です。

 

道と果を目指すためには、まずは基礎となる戒を守ることが大事ですけど、道と果を得ることで、必要とされる戒と定も身につくのですね。

 

戒定慧というと、単語的には独立しているような感じですけど、お互い関係しあってるのですね。

 

だんだん条件がそろってくるのですね。

 

次回は、その智慧を養う方法が述べられています。

 

 

「やばい輪廻は嫌でしょ?だったら道果を目指しましょう」、と口を酸っぱくしておっしゃっている本です。