oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

013【色の説明】 第一部 理論編 智慧の発展 『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

 引用

アビダンマによれば、名(ナーマ)、色(ルーパ)の要素には有所縁の法と無所縁の法があるとして、それぞれ分類されています。名(ナーマ)の要素は対象をもち、その対象をつかみ、対象を知ります。それに対して、色(ルーパ)には対象をもつということ、対象をつかむということ、対象を知るということはありません。それゆえアビダンマでは端的に色(ルーパ)には対象を知るという機能がないと述べられているのです。そして、瞑想実践者もアビダンマに記述されているのと同じように「色(ルーパ)には知るという機能がない」ということを理解するのです。

丸太や柱、れんがや石、土くれといったものは色(ルーパ)の塊です。これらのものには、知るという機能はありません。これは、私たちの身体が色(ルーパ)によって成り立っているのと同様です。私たちの身体には、知るという機能はありません。そして死体の色(ルーパ)も、生きている身体の色(ルーパ)と同様に、知るという機能はありません。けれども、一般の人々は、常識的な考えとして、生きている身体の色(ルーパ)には対象を知る機能があると思っています。そしてその機能は死によって失われると考えています。しかし、これは真実ではありません。本当のところは生きていようといまいと、色(ルーパ)には知るという機能はないのです。

 

ここで、また新しい言葉が出てきました。

巻末の用語解説を読んでみます。

 

「有所縁の法」

所縁、すなわち対象をもつ法のこと

 

「無所縁の法」

所縁、すなわち対象を持たない法のこと

 

 

うむむ、こう書くとそっけないです。

 

ふだん生活していると、自分の身体がまわりの物事を認識していると感じます、でも、本当は違うんですね。

 

で、「アビダンマ」という言葉が出てきました。

 

テキストがあるにはあるのですが、下記の北陸ダンマサークルの勉強会に使われた西澤先生のPDFが唯一読むことができるもののようです。

 

下記リンク

dhamma.bungu-do.jp

 

 

http://liberi.jp/abhidharma/ad-text_1.pdf

上記の基礎講座のテキストに色の記述があります。

45ページから。

 

で、ふだん生活をしていると目や耳で周りの物事を認識しますけど、アビダンマでは目や耳を下記の通り定義しています。

引用

 浄色 5 
眼  色所縁を認識するための眼の中にある物質
耳  声所縁を認識するための鼓膜の中にある物質
鼻  香所縁を認識するための鼻の中にある物質
舌  味所縁を認識するための舌の上にある物質
身  触所縁を認識するための爪や髪の毛の先以外の身体中にある物質

 

ガーン、目や耳は単なる物質にすぎない・・ということです。

認識するための、道具というか部品だ、ということですね。

 

例えば、カメラのレンズは、その対象に向けて写真を撮りますけど、レンズは対象を撮るための道具にすぎないです、レンズ自体が勝手に対象を決めて撮るわけじゃないですもんね、で、レンズはただのガラスを研磨し組み立てた物体にすぎないし・・。

 

目はただのレンズですね。

 

耳はマイクになるのでしょうか、マイクは電気部品で構成されているだけで、マイク自体が好き勝手に対象を決めて収録するわけじゃあないですもんね。

 

うむむ、耳はただのマイクか・・。

 

で、目や耳は認識するための道具にすぎないですけど、その対象は決まってますね。

また引用

§6 境色 7 (4+3)
色  見る対象としての物質
声  聞く対象としての物質
香  嗅ぐ対象としての物質
味  味わう対象としての物質
触 (地、火、風)触れる対象としての物質

 

目は色を認識するための道具にすぎないし、耳は声を認識するための道具にすぎない。

 

ということは、ルーパ的に考えると、人間の身体ってただの道具ってことですね。

 

生きているということは、名に使われている道具だし、死んでるってことは使われていない捨てられた道具ってことになるのでしょうか。

 

うむむむ

ということは、生きてても、死んでも、まあ、いずれにせよ「道具」だということです。

 

 

日常生活では「私の身体、私の身体」と身体の心配ばかりしています、巷ではヘルスケア情報にあふれています。

 

でも、ここでマハーシ長老は、色(ルーパ)、身体は認識するための物質というか道具だよ、とバッサリです。

 

うむむ、生きてていようといまいと、身体は物質、道具にすぎないのだから、余計なことを考えずに実践に励みなさい、とおしゃっているような感じがします。

 

 

話は「バッサリ、バッサリ」と進んでいきます。