oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

018【輪廻を知る】 第一部 理論編 智慧の発展 『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

引用

ヴィパッサバー瞑想を実践したりせず、そのような知識のない人々は「私」「我」「生きている実体」「人」といった見解にしがみつきます。彼らは「見ているのは自分だ」「私は見ている」「私は知っている」と信じているのです。この種の見解や信念は、パーリ語でサッカーヤ ディッティと呼ばれます。サッカーヤとは、名(ナーマ)と色(ルーパ)の集まりが独自に存在するものであるという意味です。またディッティとは間違った見解、信念を意味します。そしてサッカーヤ ディッティという複合語は、「現実に存在する名(ナーマ)と色(ルーパ)を、自己と見做す間違った見解、信念」という意味です。

 

前回の「017」でも出ましたけど

引用

なぜ人間が真理を悟っていないかというと、当たり前ですが、真理を知らないからです。なぜ知らないかといえば、「人間はナーマルーパをごちゃまぜにして考えているからだ」と仏教では指摘するのです。

 

まずは、ナーマルーパをよく調べないで、というか最初からナーマルーパは知りませんので・・・。

まあ、ここはズバリ「現実に存在する名(ナーマ)と色(ルーパ)を、自己と見做す間違った見解、信念」に陥ってしまうのでしょうね。

 

で、ここからバリバリの私見で恐縮です。

 

「ナーマルーパのことがわからないで、これを自己と見做す」これは間違った見解なのですけど、間違っても、人に迷惑をかけることなく、実生活に害がなければ、それはそれでいいんじゃないの?なんて思ってしまいます。

とりあえず、無事に人生を終える人もいるんじゃないでしょうか?

 

本を読み進めますと、この間違った見解が後々まで自分自身を苦しめることになります、死んだ後にも続きます、と、マハーシ長老はおしゃっています。

 

 

うむ、間違った見解は、結局、悪い結果をもたらす、ということで・・。