oldmanbuddhist

テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

020【有身見】が続きます。 第一部 理論編 智慧の発展 『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

有身見のお話が続きます。

引用

この自己に関する間違った見解から自由にならない限り、私たちは地獄、畜生、餓鬼といったみじめな領域に転生するリスクから逃れることはできません。私たちは、その功徳によって人間や天として幸福な生活に転生するかもしれません。しかし、依然として、いつでもその不善業果が作動した際にはみじめな存在の世界に転生してしまうことがるのです。

そのようなわけで、ブッダは私たちにとっての本質的な勤めとは、我に対する間違った見解を完全に取り除くことであると指摘したのです。

 

「気づきをもって比丘たちは我という見解を手放すように」

 

ここでは地獄という単語が出てきました。

地獄についてちょっと寄り道


www.youtube.com

 

28分30秒頃から地獄のお話が出てきます。

 

地獄といっても、地獄の世界に行って苦しむとかいう話ではなくて、自分の身体が病気等で苦しくなって、「自分の身体そのものが地獄や」と気づく話です。

 

 

バリバリの私見で恐縮ですけど・・

地獄というと、なんだか別の世界があって、そこに行くと鬼なんかがいて、大変な苦しい目に遭うなんて想像しますけど・・、これは昔の人の、生きているうちに良いことをしないと地獄に堕ちるぞ、だから悪いことをするな、という戒めのお話なのではないかなあ、と思います、地獄の民話ですね。

でも、わざわざ地獄に行かなくても、人間は戦争とかで、民話の地獄以上のことを起こしたり、この地上で地獄を現出させてます、それで個人でも、病気なら、自分の身体がいうことをききませんので、苦痛をもたらす身体を地獄だと思ってしまうのかもしれません、また、身体がなんともなくてもメンタル的に、生きているのが苦痛だと感じている人もいるかもしれません。

苦痛を感じたまま恨んで死んで転生すると、たぶんまた同じことを繰り返すかもしれません、もしかしたら民話の地獄なんてまだかわいい話なのかもしれません。

 

ですから、マハーシ長老のおっしゃる輪廻のお話は、本当はかなり厳しいものです、そういえば地獄も輪廻転生の一部みたいなものですから・・・・。

 

 

上記の動画で、スマナサーラ長老が、病気の苦痛で自分の身体は地獄になる、とおっしゃてますが、「自分の身体」という単語なんてそれこそ有身見の見本みたいなものです。

 

ここで、せっかく学んだナーマルーパを使うのもいいかもしれません。

 

身体はただのルーパにしかすぎないし、痛みはナーマになるのかな。

そこには「自分」なんてないし、それを観察するだけになるのでしょう、でも耐え難い痛みだったら薬に頼ってもよいのでは・・、自分の心が安穏でいろいろ観察できるのが一番ですから。

 

 

ここまで読んでみますと、マハーシ長老は「ナーマルーパ」と「有身見」についてこれでもかと、詳しくお話をされています。

 

こんな私でも、ナーマルーパの誤解から生じる有身見は、輪廻転生を引き起こす煩悩の原因になるのだな、うっすらわかってきたような気になります。

 

とても大事なことを、「これでもか!」と繰り返し教えてくれる本です。