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テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

024 【聞くこと、触れる感覚など】 第一部 理論編 智慧の発展 『ヴィパッサナー瞑想 マハーシ長老(著)』

これまでは「見る」でしたが、「聞く」「触れる」についても、お話が続きます。

 

引用

ものが聞こえた場合も、ものを見るときと同様に、実際は名(ナーマ)と色(ルーパ)という二つの個別の要素があるだけなのです。耳によって、耳識が生じます。耳と音は色(ルーパ)の要素ですが、耳識は名(ナーマ)の要素です。これら二種類の色(ルーパ)と名(ナーマ)のどちらか一つでも明確に知るために、私たちはものを聞くごとに「聞こえる」「聞こえる」と気づくべきなのです。そしてまた、それと同様に匂いを嗅ぐごとに「嗅いでいる」「嗅いでいる」と気づくべきであり、味わう機会はあるごとに「味わっている」「味わっている」と気づくべきなのです。

 

眼識のときも、「見ている」というのは、ただ「見ている」ことなので、「ああーきれいだなあ」とか、「美しいなあ」とか、感想というか、自分なりの感慨を言うのはNGですね、バリバリ自分が主役になってしまいますね。

 

ですから、「聞こえる」ときも、「うるさいなあ」とか、「この曲、大好き」とか、「嗅いでいる」ときも、「いい匂い」とか、「味わっている」ときも、「おいしい」「不味い」とか、バリバリ自分が主役になる感想はNGなんでしょうね。

 

ひたすら「念じる」「観察」「気づく」なのでしょうね。

 

身体が触れる対象、身体の感覚についてのお話が続きます。

引用

身体に対象が触れる感覚も、これと同様に念じるようにしてください。私たちの身体中に、あらゆる触れる感覚を感じる、身(カーヤ)という色(ルーパ)の要素があります。好ましいものであれ、好ましくないものであれ、いかなる種類の触れる感覚も、通常、身体の感受として感覚されます。そして、そこからそれぞれの触れる感覚を感じ、知覚する身識が生じます。触れることが生じる瞬間ごとに、「身(カーヤ)」と「触知しうる対象」という二つの色の要素と、「身識」という名の要素が生じるのです。

 

これも「見ている」のと同様に、身体に何かしら接触している場合も、二つのルーパと、一つのナーマが生じていることを、ひたすら気づく実践になりますね。

 

で、身体にはこれ以外の感覚もあります、説明が続きます。

 

これ以外にも、身体の筋肉の凝り、倦怠感、暑さ、しびれ、痛みなどの、苦痛であったり、不快な感覚が身体の特別な感覚として存在します。これらのケースでは、受(ヴェーダナー)が優勢なので、状態に応じて「暑さを感じている」「疲れを感じている」と念じるようにしてください。

 

うむむ、この場合は、身体がルーパで、身体から来る感覚はナーマになるでしょうか。

ルーパが一つで、ナーマが一つになりますね。

 

 

で、ヴェーダナーが優勢な状態なのですね。

 

で、ここではヴェーダナーという言葉が出てきました。

調べてみます。

下記の本

 

 

引用

ヴェーダナー(受)とはファッサ(触)によって喚起される、原初的な感覚のことを指す。生命は対象を知覚する以前に、それを感覚として体験する段階がある。その感覚体験を指してヴェーダナーと言うのである。

 

うむ、ここでは身体から来る原初的な感覚、これをヴェーダナーしてしまうことなのですね。

 

で、ヴェーダナーには、3つもしくは5つに分類できるとのことです。

 

3つの場合

不苦不楽

 

5つの場合

 

とても大事なことが書いてありました。

引用

「受」によって感受され、「楽」と「喜」に分類された心は所縁に対する執着を引き起こしてしまうため「貪」の原因となる。一方、「苦」と「憂」に分類された心は所縁に対する嫌悪感を引き起こしてしまうため「瞋」の原因となる。いずれにしても、煩悩の原因になってしまうわけである。このように、生命の心は自然のままの状態では、次々と煩悩を生み出してしまうのであると理解するために仏教ではヴェーダナー(受)の概念を理解することは重要なこととされている。

 

最近、加齢から来る身体の痛みを自覚します。

 

ちょっと肉体労働をしただけで、あちこち凝ってしまいますね、凝ったり痛みが生じますけど、ひたすら気づきと観察で、これを煩悩にしない、ということですね。

 

まあ、年相応で、しょうがない、大事に使っていきましょう、身体ごときで煩悩を育てるのはバカらしい・・、ヤバイと思ったら整形クリニックに行きましょうか。

 

 

たとえヴェーダナーが優勢でも、「観察」「気づき」「念じる」を絶やさないように、と教えてくれる本です。